Memorise Off2nd~Cross aubade~

第10章 ふたつの願い

夕闇に包まれた公園にスケッチブックを持ったひとりの少女がやって来た。
少女の名は伊吹みなもといい、澄空学園の3年生である。
みなもは誰かを探しているらしく、辺りをしきりに見回していた。
やがて砂場のところに立っているショートカットの少女を見つけると、みなもは小走りで駆け寄った。
「唯笑ちゃん」
みなもの呼びかけに反応し、唯笑が振り返る。
「みなもちゃん・・・」
唯笑は高校時代の後輩であり、親友でもある彼女に悲しげな表情を見せた。
みなもはそんな彼女の姿につられ、悲しい気分になったが、それを表に出さないように努めた。
「さっき唯笑ちゃんの家に行ってみたら、おばさんが出掛けているって言ったから、多分ここにいるんじゃないかと思ってやって来たの」
わざと明るい口調で話す。
しかし、対照的に唯笑は沈んだままだった。
「そう・・・」
唯笑は目を伏せたまま、そうつぶやいた。
「唯笑ちゃん・・・」
みなもは真剣な表情に変えると、一歩唯笑に近づいた。
「智也さんがいなくなったのは唯笑ちゃんのせいじゃないよ。だから、そんなに自分を責めないで」
「ううん、唯笑が悪いんだよ!唯笑が全部悪いんだよ!」
唯笑は大きく首を横に振り、強い口調でみなもの言葉を否定した。
「唯笑が智ちゃんの心を分かってあげられなかったから、智ちゃんはいなくなったんだよ!唯笑がもっと智ちゃんのことを考えてあげれば、こんなことにはならなかったんだよ・・・!」
唯笑の瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、地面に小さなしみができる。
流れ落ちる涙にはふたつの深くて暗い感情が込められていた。
自責と後悔。それらは圧倒的なまでの罪悪感となり、唯笑の心を痛めつけた。
そのことはみなもも我が身のことのように知っていたので、同じように痛みを感じていた。
「唯笑ちゃん、智也さんは必ず私が探してみせるから泣かないで」
みなもはひとつ年上の親友に手を伸ばすと、そっと抱き寄せた。
今の言葉が気休めにしかならないことは分かっている。しかし、それ以外の言葉をかけることができなかった。
そんな自分に苛立ちを覚える。
確証のない発言でごまかすことしかできない。
親友が苦しんでいるのに何もしてあげられない。
みなもはやるせない気持ちでいっぱいになった。
───もし、彩ちゃんが生きていたなら・・・
そのとき、みなもの頭の中で、今はもうここにいない従姉妹のことが思い出された。
みなもの従姉妹───桧月彩花は智也の恋人であり、唯笑の幼なじみでもある少女で、数
年前に不慮の事故により他界した。
すべてはそれが始まりだった。
この悲しい出来事は智也、唯笑、みなもの心に大きな傷をもたらした。
特に智也はそれがきっかけとなり、一時期自暴自棄に陥った。
幸い、そのときは唯笑の懸命な努力のおかげで持ち直したと聞かされている。
それから月日が流れ、彩花の死という呪縛から解放されたと思っていたのだが、その考えが甘かったということを智也の失踪という形で証明されてしまった。
みなもや唯笑が思っている以上に、智也の受けた心の傷は大きかったのだ。
そして、今度は唯笑がふたりの幼なじみを失ったという深い悲しみにとらわれ、笑わなくなってしまった。
そんな彼女を救う方法はただひとつ。智也を探し出し、唯笑のもとに連れて来るしかない。
───一刻も早く、智也さんの居場所を突き止めなくては・・・
みなもは嗚咽を漏らす唯笑の背中をさすりながら強く思った。


翌日、みなもは学校へ向かう途中、ずっと智也と唯笑のことを考えていた。
「おはよう、みなもちゃん」
ちょうどそのとき、横から同じクラスメートである相摩希が挨拶してきた。
「あ、おはよう、希ちゃん」
「どうしたの、なんか深刻な顔していたけど、何かあったの?」
希はみなもの顔を覗き込むように見ながら尋ねた。
「うん、ちょっとね。でも、たいしたことじゃないから気にしないで」
みなもは、深く詮索されないようにするため、慌てて笑顔を作りごまかした。
「そう?それなら、いいんだけど」
希は怪訝そうにしながらも、それ以上の追及はしなかった。
みなもは心の中で安堵のため息をついた。
「あ、そうそう、みなもちゃん。そういえば、昨日ね、有名な澄空のOBのひととバイト先のお店で会ったの」
「有名のOBのひと?」
みなもが目を丸くして尋ね返す。
「うん。ほら、昔、校長の3種の神器を壊して『テンペストシューター』と呼ばれていたひとがいたのをみなもちゃんは知らないかな?」
「えっと、ごめんなさい。私、そういう噂には疎いから・・・それで、そのひとって誰なの?」
「みなもちゃんも知っている稲穂先輩のお友達で、名前は確か・・・三上智也さんって言ったっけ」
「三上・・・智也さん・・・ええええっ!?」
みなもの驚きの声に、まわりにいた他の通学生が足を止め、いっせいに奇異の視線を浴びせた。
「ち、ちょっと、みなもちゃん、こんなところでいきなり大声なんか出したりしたら、恥ずかしいじゃない。いったいどうしたというの?」
突き刺さるような視線を四方八方から受けた希は、顔を真っ赤にさせながらうろたえた。
しかし、みなもはそんなことなどお構いなしという感じで詰め寄った。
「ねえ、希ちゃん。智也さんとはいつ会ったの?どこで会ったの?何時何分に会ったの?」
「お、落ち着いて、みなもちゃん。ちゃんと説明するから」
希は、矢継ぎ早に質問するみなもをなだめるような口調で諭した。
「その三上智也さんと会ったのは昨日の昼過ぎよ。ちょうどバイトが休みだった信さんと一緒にお店にやって来て、そのとき私が注文を取りに行って出会ったの」
「そっか、確かに稲穂先輩と智也さんは親友同士だから、一緒にいてもおかしくないね。希ちゃん、稲穂先輩の連絡先って分かるかな?」
「うん、分かるわよ」
「それじゃあ、悪いけど、それを私に教えて。私、どうしても智也さんのことで稲穂先輩に伝えたいことがあるの」
「分かったわ。それじゃあ、今教えてあげるね」
希はそう言うと、携帯電話を取り出し、登録してあった信の携帯電話の番号を伝えた。
───これで唯笑ちゃんを立ち直らせることができる!
何気ないクラスメートの会話で手に入れた思いがけない情報に、みなもは興奮を押さえることができなかった。
このことを唯笑が知ったら、どんなに喜ぶことだろうか。
彼女の喜ぶ姿を想像し、みなもは一刻も早く伝えたいという心境にかられた。
「ありがとう、希ちゃん」
みなもは幸運の女神となってくれたクラスメートに対し、大きな感謝の気持ちを込めて礼を言った。


それから時が流れ、いつもより長く感じられた6時限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
みなもは鞄とスケッチブックを持って一目散に学校を出ると、公園に向かった。
唯笑の家ではなく、直接公園に向かったのは、彼女がそこにいると予想してのことである。
そして、みなもの予想どおり、唯笑は昨日と同じ場所に立っていた。
「唯笑ちゃん、唯笑ちゃん、聞いて。あのね、智也さんの足取りがつかめたの」
「え・・・」
みなもの言葉に、唯笑はこれでもかというくらい目を大きく見開いた。
「智ちゃん、今どこにいるの?」
「えっとね、隣町の桜峰町にある『ルサック』というファミレスで、稲穂先輩と一緒にいるのを、そこでバイトをしている私のクラスメートが目撃したの。智也さんの居場所はまだ分からないけど、稲穂先輩に聞けば、きっと分かると思うから、家に戻って電話してみようと思うの」
みなもの話を聞いていた唯笑は、少し何かを考えるような素振りを見せた。
「・・・みなもちゃん、信君への電話は唯笑にさせて。唯笑が直接、信君にお願いしたいの」
「分かったよ、唯笑ちゃん。それじゃあ、稲穂先輩の連絡先を書いたメモは唯笑ちゃんに渡すね」
みなもはそう言うと、ポケットから小さなメモを取り出して手渡した。
「みなもちゃん、ありがとう・・・私なんかのために一生懸命になってくれて、本当にありがとう・・・」
唯笑は、昨日とは違う思いが込められた涙を流した。
「お礼なんて水臭いよ。だって、唯笑ちゃんは私の大事な親友なんだから、困っているときに助けるのは当然じゃない。それに、私のほうこそ今まで唯笑ちゃんに助けてもらっていたから、力になれて嬉しいよ」
みなもは屈託のない笑みを浮かべながら言った。
「ありがとう、みなもちゃん」
ふたたびお礼の言葉を口にする。
「智ちゃんは桜峰にいたんだね・・・唯笑の知らない遠い場所じゃなく、すぐ近くにいたんだね・・・」
唯笑は、とめどなく涙を流しながら、うわごとのようにつぶやいた。
泣きながら喜びの感情をあらわにする彼女を見ているうちに、みなもの瞳も自然と潤いを帯び始めた。
みなもの願いはふたつあった。ひとつは唯笑と智也がふたたび再会できるようになること。そして、もうひとつは、唯笑がふたたびその名前に相応しい笑顔を取り戻すことである。
もうこれ以上、親友の悲しみに満ちた顔は見たくない。
だから、是が非でも智也には、この藍ヶ丘町に戻ってほしいと思う。
智也に会いたいという唯笑の願い。
智也に戻って来てもらいたいというみなもの願い。
気がつけば、ふたりの願いは形こそ違うものの、「智也」という特定の人物の存在によって、結びついていた。
───神様、どうか私たちの願いを叶えてください。
みなもは切実な思いを込めながら、茜色に染まる空に祈りを捧げた。