Memorise Off2nd~Cross aubade~

第9章 星の導き

唯笑と公園で会った翌日、健は突然の病にかかった。この病は特別なものだった。
ただし、これといった症状は特にない。強いて言えば、何事に対してもやる気がでないということぐらいだった。それは自己診断でも分かる病───仮病であった。
仮病にかかった健は、虚偽の理由を店長に言ってバイトを休み、アパートの自室で寝転がりながらテレビを見ていた。
先ほど、正午の時間を告げるサイレンが鳴り、テレビの番組がテレフォンショッピングの番組から料理番組に変わっていた。
このとき、画面にこんがりと焼き上がった鶏肉のソテーが映し出され、朝から食事を取っていなかった健は激しい空腹感を覚えた。
健はゆっくり起き上がると、部屋を出て近くにあるコンビニエンスストアへ向かった。
健が現在住んでいるアパートは、閑静な住宅街の一角にある。
そこから歩いて5分ぐらいのところには、コンビニエンスストアがあり、そこからさらに8分ほど歩くと、大きなスーパーが建っている。
またコンビニエンスストアとスーパーを結ぶ道路の途中にある十字路を左に曲がると大きな本屋があり、右に曲がると電気屋と飲食店がある。
歩いて行動できる範囲内に様々な店があるため、生活するにはとても便利な場所だった。
健は歩きなれた歩道を北に向かって進んだ。
そのとき、反対側からやって来る人物を見て、健は驚愕した。
一方、相手のほうも健のことに気づいたらしく、歩みを止めた。
「ほう・・・こんな形でおまえと再会するとはな」
その人物は軽い笑みを浮かべながら、感心したようにつぶやいた。
「翔太・・・」
健の目の前にいるのは、高校時代の親友である中森翔太だった。
「久しぶりだな、健。こうして話すのは1年ぶりだな」
翔太はそう言って、1年前と変わらない笑みを浮かべた。
それを見て、健も懐かしさにかられた。
「そうなるな。でも、まさかおまえとまた会えるとは思ってもみなかったよ。ひょっとして、翔太も藍ヶ丘に住んでいるのか?」
健の問いかけに、翔太は首を横に振った。
「いや、俺は今も桜峰に住んでいる。健はここに住んでいるのか?」
「ああ。この近所でアパートを借りて住んでいるんだ」
「そうか。だけど、今日の星占いで、こっちの方角に向かうと運命的な出会いがあると記されていたが、本当にそうなったな」
「星占い?おまえ、そんなものをやっているのか?」
健は怪訝そうな表情を浮かべた。
「まあな。つい最近、始めたばかりだが、今やっている占いは自分で言うのもなんだが、よく当たるんだ」
「たまたまじゃないのか?」
疑いのまなざしを向ける。
翔太には悪いが、健は占いというものを信じることができなかった。
そんなもので、自分の運命が左右されるとは思いたくないからだ。
「まあ、そういう見方もあるな。でも、今回、俺が星占いどおりに行動した結果、おまえと運命的な再会を果たした。これは曲げようのない事実だ。そうだろ」
「う、ま、まあ、そうだな」
「だろ。ということは、星占いが俺たちを引き合わせたことになる。つまり、俺たちは星の導きによって、運命的な出会いを果たしたというわけだ」
翔太は胸を張りながら得意げに言った。
そんな彼の態度を見て、健は小さく肩をすくめた。
「星の導きか・・・」
星の導きという言葉は信じられなかったが、運命的な出会いという言葉にはなんとなく共感が持てた。
なんの前触れもなく再会できたのは、何らかしらの見えざる力が働いているといえるかもしれない。
その力こそ運命と呼べるのではなかろうか。
健は理屈では理解できない何かを感じていた。
「健、せっかく会ったから、久しぶりにこれで遊ばないか?」
翔太は、左手に持っていたサッカーボールを右手で軽く叩きながら言った。
「へえ、ずいぶん懐かしいものを持っているな。よし、それじゃあ、近くの公園に行こうぜ」
健は翔太の誘いをすぐに受けた。
こうして、ふたりは公園に向かうことになった。
公園に着いた健と翔太は、広く間隔を取りながら向かい合うように立った。
「いくぞ、健」
翔太が軽くサッカーボールを蹴った。サッカーボールはゆるやかな弧を描きながら、健の足もとに転がった。
そのボールを健が蹴り返し、それをまた翔太が蹴る。そんなやりとりがしばらく続いた。
「そういえば、おまえはほたるちゃんが日本に帰って来ることは知っているか?」
翔太がそう言ってサッカーボールを蹴った。
「なんで、翔太がそのことを知っているんだ?」
健は驚きのあまり、ボールを蹴り損ね、狙った場所を大きく外してしまった。
翔太は転がるボールをすばやく回り込んで止めると、右足で押さえつけた。
「俺は飛世巴さんというひとから聞いたんだよ。ほたるちゃんの帰国を伝えるため、おまえを探していたみたいだったけど、彼女とは会ったのか?」
「ああ。だから、ほたるが帰って来ることは知っている。しかし、翔太がととのことを知っているなんて思わなかったな」
「彼女とは、不良にからまれているところを助けたのがきっかけで知り合ったんだ。それで、おまえはもちろん、ほたるちゃんと会うんだろ?」
「・・・」
翔太の言葉に健は答えることができなかった。
「ん、どうした?まさか、せっかくほたるちゃんが日本に帰って来るのに、会わないつもりなのか?」
「・・・ああ・・・」
そう答えるのが精一杯だった。
「どうして会わないんだ?もう自分の彼女ではないからか?」
翔太の目つきを険しくしながら、健のもとに歩み寄った。
「いや、そんなんじゃないんだ。ただ・・・」
健は言葉を濁し、視線を地面に落とした。
そんな彼に向かって、翔太がさらに詰め寄った。
「ただ、なんだ?」
「今更、ほたると会っても意味がないと思うんだ・・・」
「意味がないか・・・」
翔太は大きく息を吐いた。
「健、俺と勝負しようぜ」
「な、なんだよ、いきなり」
親友の突然の申し出に健が戸惑う。
「あそこに1本の木があるだろ。あそこを狙ってシュートを10本ずつ打って、どれだけ当てられるか勝負しようぜ。昔、校庭のグラウンドでよくやったから覚えているだろ」
「ああ。確かに昔、おまえとそういう勝負をよくやったな」
健は学生時代のことを思い出しながら言った。
「どうだ、久しぶりにやろうぜ。もっとも、俺に負けるのが怖いなら辞退してもいいぜ」
翔太の不敵な笑みが、サッカー経験者というプライドに火をつけた。
「よし、その勝負、受けてやるよ」
健の言葉に翔太は満足げにうなずいた。
「そうこなくっちゃ。それじゃあ、どっちが先に蹴ろうか?それはおまえが決めていいぜ」
「そうだな・・・翔太のお手並みを先に拝見させてもらおうか」
「分かった。それじゃあ、先に蹴らせてもらうぜ」
翔太は木から15歩歩いた場所に線を引くと、ボールを置いて蹴った。
ボールは狙いたがわず木に直撃した。
「よし、いい感じだ」
翔太が小さなガッツポーズを見せる。
健は翔太の蹴る姿を見て、彼が学生時代よりもボールのコントロールがうまくなっていることに気づいた。
「この調子でパーフェクトを狙うぞ」
翔太がそう言って、2本目のシュートを放つ。これも見事に木に命中した。
結局、翔太は10本のシュートのうち8本を木に命中させた。
この結果は健にとって、まったく予想だにしていない結果だった。
「さあ、次は健の番だぞ」
「あ、ああ」
健は翔太からサッカーボールを受け取ると、彼が引いた線の上に置いた。
その手がまるで心の動揺を表すかのようにかすかに震える。
健は激しい胸の高鳴りを覚えたまま、ボールを蹴った。
ボールは大きく左にそれて外れた。
「残り全部入れれば、おまえの勝ちだ」
翔太はボールを拾うと、健に向かって軽く蹴った。
翔太のそのひと言がさらにプレッシャーを与えた。
健はあとで蹴ることを選んだことに後悔を抱かずにはいられなかった。
これを決めなくてはならないという焦燥感が津波のように襲いかかる。
押しつぶされそうな緊迫感が足かせとなり、健の動きを重くさせた。
健は2本目のシュートを放った。しかし、結果は空しくまたもや外れてしまった。
これで緊張の糸が切れたのか、残りのシュートも全部外れ、ひとつも命中させることができずに終わった。
───ひとつも当てることができないなんて・・・
こんなことはサッカーをやっていた学生時代には1度もなかった。
この勝負もどちらかといえば、自分のほうが多く勝った記憶さえある。
しかし、目の前にある現実は健にとって、あまりにも酷だった。
完全なる敗北───それが健に突きつけられた勝負の結末だった。
「健、これが今の俺とおまえの差だ」
翔太は冷静な口調でそう告げた。
その瞬間、圧倒的なまでの敗北感と屈辱が次第に込み上げ、健はサッカーをしていた頃の面影も輝きも失ってしまったことを痛感させられた。
「健は高校を卒業してから、一度もサッカーボールを蹴っていないだろ?」
「ああ・・・」
健は消え入りそうな声で答えた。
卒業してからサッカーをやっていなかったことを、負けた言い訳にしたくはなかった。
それを考慮しても、ここまで力の差があるとは思いたくなかった。
今まで積み上げてきたものが、いかに小さいものだったかと認めてしまうように思えるからだ。
「俺は今でも暇なとき、ひとりでサッカーボールを蹴って遊んでいる。クラブとかに入っているわけじゃないから、やっていても何もないけど、それでも何故かボールのコントロールだけは学生時代よりも上達したんだ。多分、ひとりでリフティングやシュートを木に当てる練習ばかりやっているせいだろうな」
翔太はかすかな笑みを浮かべてそう言うと、すぐさま真剣なまなざしを健に向けた。
「なあ、健。端から見て、どんなに無駄で無意味に思える行動にも、ちゃんと意味はあるんだ。正確には意味を見出せるってことになるかな。この世に無意味なものなどない。ただ、今のおまえみたいに意味を見出せないものが、無意味な存在として扱われているだけなんだ」
「意味を見出す・・・」
「そうだ。意味を見出すのなら、己の意思で何かしようとするんだ。自分ひとりが納得できるものでも構わないから、意味を自分の手で作るんだ。今のおまえみたいに何もしようとしなければ、それこそ意味を見出せはしないぜ」
「意味を自分の手で作る・・・」
健が熱にうなされたようにつぶやく。
「健、とにかく前に進もうとするんだ。すべてはそれからだ」
翔太は、まばたきひとつせずに健の目を見つめた。
健は親友の真摯な視線に耐えきれず、目をそらした。
ほたるとの再会に意味があるというのなら、それはどういう意味なのだろうか。
ほたるは健に会いたいと言っている。
何故、彼女は会いたいと願うのだろうか。
今更、別れた恋人に会って、何をしようというのか。
何を求めているのだろうか。
いくら考えても、すべてが謎のままだった。
───ぼくはほたると会わないほうがいいのか?それとも、会うべきなのだろうか?
一度は頑なに決めていた決意が大きく揺らぎ始め、健の心に混迷という名の嵐をもたらした。