Memorise Off2nd~Cross aubade~

第8章 欠けたる決意

オレンジ色に染まる橋の上で健とほたるは対峙していた。
このときのほたるは、何かに耐えるような感じで、懸命に笑顔を作っていた。
「健ちゃん・・・ほたるたち、どうしてこんなことになったのかな・・・?」
「・・・」
健は無言のまま、ほたるから目をそらした。
今にも崩れそうな彼女の笑顔を見ていられなかったからだ。
「・・・もうほたるたち、駄目なの・・・」
震える声が次の言葉を紡いだ瞬間、ほたるの顔から完全に笑顔が消えた。
濃い悲哀の色を秘めた瞳が、健に言いようのない罪悪感を与える。
「・・・」
健は無言のまま、きびすを返して歩き出した。
「健ちゃん!」
背後から届いた悲痛な声が、健の歩みに躊躇をもたらした。
今、振り返ってはいけないことはよく分かっている。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、見えない糸が振り向かせようとしていた。
健は目をつぶると、ふたたび歩き出した。まるでその場から逃げるかのように。
そこで夢が終わりを告げた・・・


健が目を覚ますと、見慣れた自室の天井が目に入った。
いつもと変わらない光景だった。
健はふとんから出ると、カーテンを開け、窓の景色を眺めた。
「ほたる・・・」
ふたりが別れたときのことを思い出す。
あのとき、健はほたるの質問に対し、何も答えることができなかった。
何故、答えることができなかったのか。それは今でも謎のままだった。
もし、あそこで「まだやり直せる」と言っていれば・・・
あるいは、最後に自分の名前を呼ばれたとき、もう一度振り返っていれば・・・
きっとふたりはまだ恋人同士でいられたと思う。
そうなれば、寂しい思いもせずにすんだし、逃げるように桜峰町を離れることはなかった。
───ぼくとほたるが一緒に過ごした時間は、いったいなんだったのだろうか・・・
今頃になって、ふとそんなことを考えてしまった。
もちろん、あんなつらくて苦しい別離をするためなんかではない。
お互いに相手のことが好きだったから、少しでも同じ時間を共有したくて、一緒にいたと思う。
それなら、何故別れてしまったのだろうか。
今の健には、この疑問を解明することができなかった。
相思相愛のカップルだと、いつも評判だった健とほたる。
しかし、そんな彼らでも破局が訪れた。
何がいけなかったのか。
どこで間違ってしまったのか。
いくら考えても、そうなった理由を見つけることができなかった。
もっとも、理由など初めからなかったのかもしれない。あえて挙げるなら、そういう運命だったのかもしれない。
そんな陳腐なひと言で片付けたくはなかったが、他に思いつく言葉かなかった。
そのとき、突然、携帯電話の着信メロディが流れた。
ディスプレイを見た健は、思わず息を飲んだ。表示された電話番号が唯笑のものであったからである。
劇場での一件もあり、健は一瞬、電話に出ることにためらいを覚えたが、意を決して出ることにした。
「も、もしもし・・・」
平静を装うとしたが、自然と声がうわずってしまい、見事失敗に終わった。
「あの、今坂ですけど、突然、電話してすみません。今、大丈夫ですか?」
一方、唯笑も緊張しているらしく、話し方がたどたどしかった。
「あ、はい、大丈夫です。それより、こちらこそ昨日は勝手にひとりで帰ってしまってすみませんでした」
健はとっさに謝罪の言葉を述べた。
「あ、あのときのことは全然、気にしていませんから謝らなくてもいいですよ」
「本当にすみません。そう言ってもらえると助かります。それで、今日はどうしたんですか?」
健は、彼女が劇場での一件のことで怒っていないことを知って安堵した。
「あ、あの、実は今日、伊波さんと会って話したいことがあるんですけど、いいですか?」
「えっと、いいですよ。時間はいつ頃ですか?」
「今から1時間後でどうですか?」
「分かりました。それでいいですよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、1時間後に公園ということで、よろしくお願いします」
唯笑はそう言うと、電話を切った。
「話したいことっていったいなんだろ?」
電話では話せない内容みたいなので、それだけ重要な用件だと直感的に感じ取ることができた。
健は一時間後のために、慌しく準備を始めた。

健が公園に足を運ぶと、噴水のそばで唯笑が先に待っていた。
「急に呼び出したりして、すみませんでした」
唯笑は、そう言って深いお辞儀をした。
「いえ、そんなことは気にしないでください。それでぼくに話したいことっていうのは何ですか?」
「あの・・・実は私、伊波さんが劇場から出て行ったあとに、ととちゃんから伊波さんとほたるさんのことを聞きました。それで話というのは、そのほたるさんとのことなんです。勝手な言い分ですみませんが、もし、できるものならほたるさんと会ってほしいと思うんです」
唯笑は、恐る恐る健の様子をうかがうような感じで言った。
「どうして今坂さんがそんなことを言うのですか?ひょっとして、ととの奴に頼まれたんですか」
「いえ、違います!これは私自身の意思です!ととちゃんはまったく関係ありません!」
先ほどとはうって変わって、急激に語気を強める。
あまりの変わりように、健は思わずたじろいでしまった。
「私がほたるさんに会って欲しいと言うのは、伊波さんに会えなかったときのほたるさんの気持ちが分かるからなんです・・・」
唯笑のその言葉は、健に混乱と疑問をもたらした。
「それって、どういう意味ですか?」
「会いたいのに、会えないときの気持ちが理解できるということです。私は、この気持ちを今までずっと持っているから、ほたるさんに同じ気持ちを味わわせたくないんです。会いたいのに、会えないというのは本当につらくて悲しいことですから・・・」
健を見つめる唯笑のまなざしには、深い悲しみが宿っていた。
「すみません、勝手なことばかり言ってしまって・・・自分勝手なのは分かっていますが、どうしても伊波さんにはこのことを知ってもらいたくて言いました。ごめんなさい・・・」
唯笑は、秘めていた真摯な思いを健に伝え終わると、体を小刻みに震わせながらうつむいた。
健は唯笑の気持ちが痛いほど知ることができた。
このとき、一瞬ではあったが、目の前にいる少女の純真な思いに応えてあげたいと思った。
だが、それを叶える術はあるものの、実行に移す決意が欠けていた。
残念ながら、最後の一歩を踏み出すことができなかった。
「・・・ごめん・・・やっぱり今更、ほたると会うことはできない・・・」
健は消え入りそうな声でそう答えると、足早にそこから立ち去った。
「伊波さん!」
悲痛な声が背後からしたのと同時に、健の足が一瞬止まった。
しかし、すぐさまその声を振り切るかのように歩き出した。
まるで、数年前の自分を再現するかのように・・・