Memorise Off2nd~Cross aubade~

第7章 唐突なる再会

唯笑に猫のぬいぐるみをプレゼントしてから72の時が刻まれ、待望の日曜日がやってきた。
健は約束の時刻よりも10分ほど早く、待ち合わせの場所となっている公園にやって来た。
見慣れた公園の景色も、今日はどことなく新鮮に感じられた。
それはいつもとは違う気分で、ここに立っているせいかもしれない。
───これもある意味デートになるんだよな・・・
健は今日の目的を考えながら、唯笑が来るのを待った。
こうして、異性と待ち合わせをするのは、高校のとき以来となる。
あのときはそれこそいろんな場所で、白河ほたるとデートの待ち合わせをしていた。
そして、いつも自分が約束の時間に遅れて、ほたるに怒られていた記憶が鮮明に残っている。
彼女が頬を膨らませて怒る姿を思い出し、健は懐かしさと寂しさを同時に覚えた。
それから5分が経過したところで、唯笑が姿を見せた。
「遅くなってすみません」
「いや、ぼくが少し早く着いただけだから気にしないでください」
謝る唯笑に対して、健は笑顔でそう答えた。
「それにしても、今日はいい天気になって本当によかったです」
「そうですね」
彼女の言葉に同意を示す。
「それじゃあ、行きましょう」
「ええ」
健と唯笑は並んで公園を後にした。


演劇が行われるイベントホールに到着すると、大きな看板が健の目に止まった。
そして、そこに書かれている劇団名に釘つけとなった。
その劇団名はバスケット。健の知り合いの女の子───飛世巴が所属していた劇団である。
こんなこともあるのかと、健は数奇な運命を感じずにはいられなかった。
「どうしたんですか?」
立ち止まった健を見て、唯笑が尋ねてきた。
「あ、いや、なんでもありません」
健はその場しのぎの返答を返した。
───まさか、ここであいつと再会なんてことはないよな・・・
巴が父親を病で失い、母親と一緒に向こうの実家に戻ったことは、風の便りで知っていた。
つまり、もうこの劇団にいないはずだと健は思っていた。
ところが、チケットを受付で渡して中に入ったそのとき───
「おーい、ゆえゆえー」
聞き覚えのある声と見覚えのある姿に、健は驚きと戸惑いの色を隠せなかった。
「ああっ!そ、そこにいるのはひょっとしてイナ!?」
向こうからやって来た巴も、こちらの存在に気づき、大きな声を上げた。
漠然としていた予感が現実となった瞬間、約1年ぶりの再会が訪れた。
「あれ、ととちゃんは伊波さんのことを知っているの?」
ふたりの関係を知らない唯笑が、交互に顔を見比べながら尋ねた。
「うん、イナとは高校時代からの友人なんだ。それより、ゆえゆえこそイナとはどういう知り合いなの?」
「えっと、伊波さんとは公園で知り合ったの。それでね、猫のぬいぐるみをもらったお礼として、今日の演劇に誘ったの」
「へえ、そうなんだ」
巴の視線の方向が唯笑から健に変わる。
「なんだよ、とと。その何か言いたげな視線は」
「なんでもないよ。ただ、相変わらず優しいなと思っただけ」
巴は言葉には、奥歯に物の挟まったような含みがあった。
「それって、どういう意味だよ?」
「言葉どおりの意味だよ」
健の質問をさらりとかわす。
「それにしても、このあいだはゆえゆえと偶然の再会を果たしたかと思えば、今度はイナと再会できるなんて、思ってもみなかったよ。これこそ、運命的な出会いってやつよね。でも、おかげでイナにあのことを伝えることができるから、この再会を作ってくれた神様に感謝だね」
巴は二度小さくうなずきながら言った。
「あのことって?」
健は気になる言葉に対し、疑問を投げかけた。
「それはね・・・」
巴が答えを言いかけたそのとき、
「巴せんぱーい!森さんが呼んでいますので、すぐ舞台裏に来てくださーい!」
愛らしいピンク色の衣装を身にまとった少女が少し離れた場所に現れ、巴に呼びかけた。
「あ、いっけない、今から最後の打ち合わせがあったんだ。イナ、話の続きはあとでするから、舞台が終わったらここで待っていて。いい、先に帰ったりしたら駄目だからね。それじゃあ、またあとでね」
巴は早口でそう言い残すと、慌ててその場から走り去った。
健と唯笑は、そんな彼女の後ろ姿をぽかんとした表情で見送った。
「私たちも中に入りましょうか」
「そうですね」
巴の姿が完全に見えなくなったのと同時に、ふたりはホールの中に入った。
健と唯笑が席に着くと、ホール内の照明が一斉に消え、舞台開始のアナウンスが流れる。
そのあと、BGMとナレーションが入り、ゆっくりと幕が上がり出す。
そして、幕が開いた瞬間、スポットライトが点灯し、ステージの上にいた巴を照らし出した。
「永遠はあるよ・・・ここにあるよ・・・」
巴の静かな台詞が舞台の始まりを告げた。
健は舞台が進むにつれ、巴の演技に釘つけとなった。
巴は、昔とは比べものにならないほどの輝きと演技力を身につけていた。
素人の健でも分かるくらいなのだから、その上達ぶりは相当なものだといえる。
きっとここまで並大抵の範囲を超えた努力をしてきたに違いない。
スポットライトを浴びて渾身の演技を披露する巴は、燦然とした輝きを放ち、健を含めた観客を魅了していた。
それは、1年という月日が人をこれほどまでに成長させるという何よりの証だった。
───ととは1年の間であんなに成長しているのに、それに引き換え僕は・・・
彼女の輝きが健の心に大きな影を落とした。
人としての成長力の差を思い知らされる。
1年の月日の長さは不変で、誰にも等しく与えられる。
すなわち、健も巴も同じ時間を使っていることになる。
それなのに、こうも違いが生まれるのは、ふたつの時間の質によるものだといえるだろう。
有意義な時間と無意味な時間。
簡単に言ってしまえば、前者が巴の過ごした時間で、後者が健の過ごした時間ということになる。
今の健と巴が、このふたつの時間の相違を象徴していた。
───ぼくは今まで何をしてきたんだろう・・・
健は自己嫌悪に陥りながら、光輝く少女に羨望のまなざしを送った。
やがて盛大な拍手と同時に舞台の幕が降り、バスケットの公演が終わりを告げた。
健と唯笑は巴の言葉に従い、さきほどの場所で彼女が来るのを待った。
巴がやって来たのは、それから数分後のことだった。
「ふたりとも、待たせてしまってごめんね」
「あ、ととちゃん。今日の劇、すごく面白かったよ!唯笑、すごく感動しちゃった!」
唯笑が興奮気味に感想を述べた。
「ありがとう、ゆえゆえ。で、イナのほうはどうだった?」
巴が健のほうに顔を向けて尋ねる。
「どうって、とてもよかったと思うよ」
「なんか曖昧な言い方ね。あ、もしかして私に見惚れていて、芝居の内容を全然、見ていなかったとか」
「そ、そんなはずないだろ」
健がむきになって反論する。
「アハハ、冗談よ、冗談。もう、すぐむきになるんだから。でも、ふたりとも、楽しんでくれたみたいだから、安心したよ」
巴は満面の笑みを浮かべて、ふたりの顔を交互に見た。
そこには、自分の役目を無事果たしたという自信と安堵感が感じられた。
「それで、さっき話そうとしていたあのことってなんなんだ?」
「あ、そのことなんだけど、実はね今度、ほわちゃんが一時帰国することになったの。それでね、ほわちゃんがイナに会いたがっているから、そのことをイナに伝えたかったの」
「ほたるが日本に・・・」
巴の言葉は健に驚きを与えた。
「そうよ。ほわちゃんは今度の土曜日に帰って来るから、その日に私と一緒に空港まで出迎えに行こうよ。そうすれば、きっとほわちゃんが喜ぶと思うからさ」
「・・・」
健は巴から視線を逸らした。
「どうしたの、イナ?ひょっとして都合が悪い?」
「・・・あ、ああ。その日はバイトが入っていて駄目なんだ・・・」
「そうなんだ・・・バイトの日を変えてもらうのは駄目かな?」
「うん、人手が少ないから変わることはできないんだ」
うつむき加減で答える健。
「そう・・・それじゃあ仕方ないね。それなら、ほわちゃんが日本に滞在する5日間のあいだで都合のいい日を教えてよ」
「・・・悪いけど、全部予定が入っていて駄目なんだ・・・」
「ちょっと、イナ!せっかく、ほわちゃんが日本に帰って来るのに、どうしても時間の都合をつけられないの!?」
巴が険しい剣幕で詰め寄る。
「ほわちゃんが日本に戻る機会は、そんなにないんだよ!この機会を逃せば、今度いつ会えるか分からないんだよ!だいたい、その予定って何?そんなに大切な用事なの!?私が納得できるように説明して!」
「・・・」
健からは何の答えも返ってこなかった。
「予定というのは嘘ね・・・」
ぽつりとつぶやいた巴の言葉に、健の表情が変わった。それを巴は見逃さなかった。
「やっぱりね。イナは顔にすぐ出るから、嘘なんてつけないものね。イナ、どうしてほわちゃんと会うことを避けたがるの?まさか、イナ・・・あのときのことを・・・」
「ととっ!」
健は声を荒げて巴の会話を遮った。
「ぼくはほたると会わない・・・会うことはできない・・・!」
健は消え入りそうな声でそう言った瞬間、巴たちに背を向け、駆け出した。
「イナ!」
「伊波さん!」
ふたりの少女が発した制止の声を振り切るかのように、健は外に飛び出した。
あの場にいる自分自身が嫌だった。
嘘で本心を隠さなければならない自分が嫌だった。
本当は巴の指摘したとおり、予定などまったくない。
空港に出迎えも行けるし、ほたるがいる5日間、すべて会うことだってできる。
それなのに、健は嘘をついてまで、ほたるとの再会を拒んだ。
理由はただひとつ。何も変わっていない自分を彼女に見られたくないからだ。
健は暗くなり始めた道路をがむしゃらに走り続けた。
それはまるで、現実から目を逸らし、逃避するかのような走りだった。