Memorise Off2nd~Cross aubade~

第4章 刹那の記憶

藍ヶ丘町の商店街にある喫茶店「スノードロップ」で、霧島小夜美は大学の友人である白河静流と熱い討論を繰り広げていた。
「誰がなんと言おうと、最強の必殺技は向山昇治のツイスターボムよ!」
小夜美は静流をまっすぐ見据えながら語気を荒げた。それに対し、静流も負けじと小夜美を睨み返す。
「いいえ!最強のフェイバリットホールドは、ヴァンダーファルケのヴォーテック・バスターに決まってるわ!」
お互いの視線から、見えない火花が飛び交う。
そもそも、こういう事態になったのはプロレス観戦が終わったあとに、「誰の必殺技が最強なのか?」という話になったことがきっかけだった。
ここからはお互いに相譲らず、プロレスの会場をあとにしてから、喫茶店に入るまでずっと同じことを繰り返し、現在に至っている。
端から見れば、蝸角の争いにしか思えない内容なのだが、当人たちにとっては、己の信念をかけた、いわば天下分け目の決戦なのである。
「まあ、今度向山とヴァンダーが直接対決するみたいだから、そのときに白黒がはっきりするわ。もっとも、勝つのはヴァンダーだと思うけどね」
「いいや、勝つのは向山よ。向山がツイスターボムでヴァンダーを粉々に粉砕するわよ」
静流の言葉に小夜美が反論する。
「そう。それじゃあ、私たちも勝負しましょう。もし、向山が勝ったら、私が小夜美に1週間お昼ごはんをおごるわ。そのかわり、ヴァンダーが勝ったら、小夜美が私にお昼ごはんをおごるの。どう?」
「おもしろい。その勝負、受けて立つわ。あとで泣きを入れても駄目だからね」
「そっちこそ」
こうして、次に行われる向山昇治対ヴァンダーファルケの対戦の日に、新たな場外乱闘が追加となった。
「さて、話も決まったことだし、とりあえず抹茶のシフォンケーキを食べましょうか」
「そうね」
話がまとまったところで、静流と小夜美はずいぶん前に置かれていたシフォンケーキを口に運んだ。
「そういえば、確かもうすぐだよね。ほたるちゃんがウィーンから戻って来るのって」
「うん。あと1週間後に帰国するわ」
静流は少し目尻を下げながら答えた。
静流の妹のほたるは、現在、ピアノを本格的に習うためにウィーンへ留学していた。そして、今回は一時帰国ということで、ふたたび日本の地に足を踏み入れる予定となっていた。
いつも電話やメールでやりとりしていたので、まったく音沙汰がなかった訳ではなかったが、じかに会えるのはやはり嬉しい。
静流は、久しぶりに再会する妹がどんなふうになっているのかと考えるだけで胸が弾んだ。
「そうなんだ。ほたるちゃん、きっといい女になっているんじゃないかしら」
「どうかしら。電話で話すときのことを考えると、あまり変わっていない気がするんだけどね」
「フフフ、嬉しそうね」
小夜美は、嬉しそうに妹のことを話す友人を見て微笑んだ。
「当たり前じゃない。たったひとり妹と久しぶりに再会できるんだから。でも、ひとつだけ困ったことがあるの」
そこで急に表情を曇らせ、言葉を濁す。
「困ったこと?」
「うん。実はほたるが会いたがっている男の子がいるんだけど、その子が急に行方をくらませて、連絡が取れなくなっているのよ」
「え、そうなの。誰なの、その男の子って?」
小夜美が心配そうに尋ねる。
「以前、ほたると付き合っていた男の子で、伊波健君というの」
静流は寂しげなまなざしを遠くの景色に投げかけた。
妹とその恋人が仲睦まじくしていた昔の光景がふと脳裏によぎる。
静流から見て、ほたると健は本当に仲のよいカップルだった。ふたりはずっと一緒にいるものだと信じて疑わなかった。
しかし、現実は必ず理想どおりに進むことは絶対にあり得ない。ときに悪魔となり、残酷な結末をもたらすこともある。それは、決して避けて通るのことのできない運命といえるかもしれない。
あれほど仲がよかったほたると健も、例外ではなかった。
最初は些細なすれ違いから始まった。それは本当に小さな波紋だった。しかし、そのすれ違いが重なるにつれ、波紋は次第に大きくなり、遂には破局に結びついた。
健もほたるも望んで破局を作ったわけではない。それはふたりの近くにいた静流が何より知っていた。
それでは何が原因だったのか?
何がいけなかったのか?
何も原因などない・・・それが静流の答えだった。
そう、健が悪いわけでもないし、ほたるが悪いわけでもない。これは現実が垣間見せた悪魔の見えざる手が引き起こした事象なのだ。
静流は、そんな現実の悪魔からふたりを守ってやれなかったことを少なからず後悔していた。しかし、自分ではどうすることもできなかった。できることは泣きじゃくる妹を見て、自分の無力さを感じ、ただ抱きしめてあげることだけだった。少しでも悲しみが癒されるようにと願いながら。
「伊波健君・・・伊波健・・・伊波健・・・ああっ!思い出した!」
突然の小夜美の大声に、静流は現実の世界に引き戻された。
「ど、どうしたの、小夜美?」
「私、その伊波健って子を知ってるわ」
「なんですって!どうして知っているの!?」
今度は静流が大声を上げた。
「えっと、このあいだ静流と約束していたとき日に出会ったからよ。その日、途中で天気雨に降られて、雨宿りしたんだけど、その場所で偶然、私の知り合いの女の子と出会って、そこに一緒にいた男の子が確かに伊波健と名乗ったわ」
小夜美はそう答えると、小さくうなずいた。
「そうだったの。まさかそんなことがあったなんて。ということは健君はこの藍ヶ丘にいるってこと?」
「うーん、そこまでは分からないわ。あ、でも、一緒にいた知り合いの女の子に聞けば、居場所が分かるかもしれないから、近いうちに聞いてみるわ」
「ありがとう。そうしてくれると、助かるわ。よかった、これでうまくいけば、ほたるが健君と再会できるわ」
「それじゃあ、第一発見者の私にご褒美として、ここのケーキをおごってくれるわよね、静流」
「ええ、いいわよ。今日は特別にもうひとつデザートをつけてあげる」
静流はそう言って、追加のデザートをふたつ注文した。