Memorise Off2nd~Cross aubade~
この日、信からの呼び出し電話を受けた智也は、彼が住んでいる「朝凪荘」を訪れた。
信の部屋に入るのはこれで2度目になるが、前回よりもさらに散らかっていた。
「おい、信、少しは整理整頓ぐらいしろよ」
智也は部屋を見渡すと、深いため息をついた。
「フッ、おまえはこの部屋の本質が分かっていないようだな。おまえの目には無造作に散らかっているようにしか映らないだろうが、これこそすばやくかつ有効に行動できる理想的な構成なのだ」
信は不敵な笑みを浮かべ、平然と言ってのけた。
「何言ってやがる。ただ単に整理整頓と清掃を怠っているだけだろ。それより、俺に話したいことがあるって電話で言っていたけど、なんだ?」
「ああ、実はな・・・」
信は急に表情を曇らせ、言葉を濁した。
友人の変わりように、用件の重大さを漠然と感じ、智也は真顔になった。
たちまち重苦しい空気が漂い始める。
信はふうっと軽く深呼吸をすると、静かな口調で話し出した。
「実は昨日、唯笑ちゃんから電話があった。彼女はおまえがこの町にいることを知って、俺に電話してきたんだ」
「何だって!」
智也は思わず大声を出して絶句した。その顔には、困惑の色がありありと浮かんでいる。
「どうして、唯笑が俺の居場所を知っているんだ?」
「このあいだ、ルサックというファミレスで希ちゃんという澄空高校の女の子と会っただろ。その希ちゃんがみなもちゃんと同じクラスだったらしく、たまたまおまえの話をみなもちゃんにして、それがきっかけでおまえの居場所と俺の電話番号を知ったらしい」
信の冷静な話し方のおかげで、智也は幾分か動揺を静めることができた。
偶然が重なり合って起こった出来事なので、こういう結果になったのは仕方がない。
「それで唯笑はなんて言っていたんだ?」
「いつでもいいから、昔、一緒に遊んだ公園に来てほしいという伝言を預かった」
「そうか・・・」
智也はそうつぶやくと、そのまま押し黙った。
唯笑が会いたがっている。今、思えば、それは至極当たり前のことだった。
なぜなら、智也がいなくなって平然としていられるはずがないからである。
ただの顔見知り程度ならまだしも、幼なじみという間柄で、相手のことを心配しないというのはまずあり得ないだろう。
そんなことは少し考えれば分かるのだが、昔の智也はとにかく彩花のことしか考えられなかったので、もうひとりの幼なじみのことなど頭の片隅にもなかった。
ひどいはなしだが、当時の智也にはそこまで考える余裕など皆無だったのだ。
「それでおまえ、どうするんだ?」
「どうするって急に言われてもな・・・」
戸惑いの色を隠せない智也。
あまりにも急な話なうえに、内容が内容なので、即答できるはずがなかった。
そんな智也に信が強い口調で話しかけた。
「俺はできるだけおまえの意思を尊重するつもりだったが、今回だけは俺の主張を言わせてもらうぜ。智也、おまえには今すぐ藍ヶ丘へ戻って、唯笑ちゃんと会ってほしい」
「信・・・」
「以前、俺がルサックで言った言葉は覚えているか?あのときに言った身近にいる人間というのは唯笑ちゃんのことなんだ。今だから言うけど、実は智也と会う前に、音羽さんと双海さんから、唯笑ちゃんのためにおまえを探して欲しいと頼まれていたんだ。だから、偶然、智也と再会したとき、おまえのことを音羽さんたちに教えるべきかどうか本当に迷ったよ。しかし、智也がみんなに居場所を知られたくないと言ったから、俺はおまえの意思を尊重し、今まで黙っていたんだ。でも、昨日、唯笑ちゃんの話を聞いて、分かったんだ。唯笑ちゃんはおまえがいなくなってから、ずっとひとりで苦しんでつらい思いをし続けていたんだってな。このままだと、唯笑ちゃんは孤独感によって、押しつぶされてしまう。だから、そうなる前に唯笑ちゃんと会ってほしいと思うんだ。勝手な言い分なのは分かっているけど、唯笑ちゃんのためにも、藍ヶ丘に行ってくれ。頼む」
このとき、智也は親友の気遣いと苦悩を痛感した。
そして、自分の取った行動が幼なじみだけではなく、親友やかつてのクラスメートにまで大きな影響を与えてしまったことに、驚きと反省の念を抱いた。
「信、唯笑とのことは少し考えさせてくれ」
智也はそう言って立ち上がった。
唯笑と会うことが嫌な訳ではない。むしろ、唯笑がそんなふうになってしまった原因が自分にあることを知ったので、その責任を取るという意味で彼女の希望を叶えてあげたいと思っている。
しかし、同時に藍ヶ丘に戻ることに対する躊躇もあった。
身勝手な考えで飛び出した自分が今頃、唯笑と会ったところで何もしてやれないのではないかという気持ちが心のどこかにあるからだ。
「・・・分かった。俺には強制する権利はできないから、あとは智也の判断にまかせるよ」
「すまない」
智也は短い謝罪の言葉を口にすると、信の部屋を後にした。
朝凪荘の玄関をくぐると、庭先で立っているつばめと偶然、出くわした。
「あら、智也君。稲穂君のところに行っていたの?」
「ああ」
智也はつばめのもとに歩み寄った。
「どうしたの、浮かない顔して。もしかして、稲穂君と喧嘩でもしたの?」
「いや、そうじゃないんだ。実は・・・」
智也は信との会話の内容をつばめに話した。
つばめは真剣なまなざしで智也を見つめながら、黙って話を聞いていた。
「智也君、あなたは一度、藍ヶ丘に戻るべきよ。今坂さんの苦しみから解放できるのは智也君しかいないのだから」
智也の話が終わると、つばめは自らの考えを告げた。
「でも、俺にそんなことができるだろうか?」
智也は胸のうちにある疑問をつばめにぶつけた。
「少なくとも、智也君以外のひとには絶対できないわ。だから、しっかりしないと駄目よ」
つばめは智也に近づくと、そっと彼の手を握った。
突然の行動に、智也は驚きの色を隠せなかった。
「つばめさん・・・」
「智也君なら大丈夫よ。きっと今坂さんの力になれるわ。だって、あなたは私を過去の苦しみから解き放ち、自由を与えてくれたじゃない。だから、今度は私と同じように今坂さんを助けてあげて」
つばめはそう言って微笑んだ。
つばめの微笑みと柔らかくて滑らかな手の感触が智也に自信と決意を与えた。
今の自分が唯笑に何をしてあげられるか皆目見当つかないが、とにかく会ってみようと思った。
会わなければ、何も始まらない。ならば、会うしかない。藍ヶ丘の公園でひとり佇んでいる幼なじみの少女に。
浮かび上がった答えはいたってシンプルで明快だった。
「つばめさん。俺、藍ヶ丘に行くことにするよ。俺に何ができるか分からないけど、できる限りのことをやってみるよ」
智也はつばめを見つめながら、力強く言った。
その答えを聞いたつばめは、微笑みをたたえたまま、小さくうなずいた。