Memorise Off2nd~Cross aubade~

第10章 凱旋

広々とした空港のターミナルビルでは、それぞれ異なった髪と瞳の色をしたひとたちがせわしく行き来していた。
そんな小さな人種のるつぼと呼ぶに相応しい場所で、ひとりの日本人の少女が大きなトランクを引っ張りながら歩いていた。
「うーん、どこにいるんだろ、お姉ちゃん」
少女は到着ロビーに入ると、キョロキョロと辺りを見渡した。
「ほたるー、こっちよー」
そのとき、聞き慣れた声が少女───白河ほたるの耳に飛び込んだ。
声のした方向に顔を向けると、そこには探していた姉の他に意外な人物の姿がふたつあり、ほたるを驚かせた。しかし、すぐにその驚きは喜びに変わり、ほたるは手を振りながら姉たちのいる場所に向かった。
「ただいま、お姉ちゃん、ととちゃん、翔たん」
ほたるは、満面の笑みを浮かべながら交互にみんなの顔を見渡した。
たちまち懐かしい気持ちで胸がいっぱいになる。
日本を離れて約1年。一時帰国とはいえ、ようやく果たすことができた再会劇に、ほたるは言葉では表せないくらいの喜びを感じていた。
───私、帰って来たんだ。日本に・・・みんなのところに帰って来たんだ。
万感の思いがほたるの心の中で駆け巡る。
「おかえりなさい、ほたる」
「おかえり、ほわちゃん」
「おかえり、ほたるちゃん。元気そうでなによりだ」
静流たちは、屈託のない笑顔を浮かべ、ほたるを出迎えた。それがまたほたるの喜びを大きくさせた。
「白河ほたる、ただいま日本に帰って来ました!」
ほたるは挙手の敬礼をすると、小さく舌を出して笑った。
「ウィーンでの修学任務、ご苦労様です。白河中尉」
巴も笑いながら敬礼を返した。
「アハハ、ととちゃん、変わっていないね」
「あら、なんかそれって私が全然成長していないように聞こえるんだけど」
巴はそう言って、目つきをするどくさせた。
「そういう意味で言ったんじゃないよ。いい意味で言ったんだよ」
ほたるが慌てて弁解する。
「アハハ、冗談だよ、ほわちゃん。ほわちゃんも変わっていないね」
「もうっ、ととちゃんの意地悪」
頬を膨らませる。
「ごめんごめん。まあ、軽い冗談だから笑って許してよ」
「もう、ととちゃんたら」
ほたるはやれやれといった表情を浮かべた。
「ほたるも来たことだし、そろそろ行きましょうか。積もる話は家に戻ってからでゆっくりしましょ」
「そうですね。ほわちゃん、荷物は私が持つよ」
静流の言葉に同意した巴がほたるのトランクを持とうとしたとき、翔太が先に手を伸ばしてトランクをつかんだ。
「荷物持ちは俺がやるよ。こういうのは男がやるもんだ」
と言ってトランクを自分のほうに引き寄せる。
「それじゃあ、お言葉に甘えてお願いするわね」
「ありがとう、翔たん」
「どういたしまして」
翔太は、ふたりの少女に向かってにこっと微笑んだ。


静流の運転する車は、軽快に道路を走り抜け、ほたるの家に向かっていた。
車の窓から見える風景は、微妙に変わっているところもあったが、その大半はほたるが住んでいた頃と何の変哲もなかった。
ぽつりぽつりと点在する家屋、空気、空、太陽・・・何もかも長い間その目で見ているはずなのに、なぜか新鮮な気持ちにかられた。
「静流さん、もう少しスピードを落としたほうがいいですよ」
後部座席に座っていた巴の声がほたるを現実の世界に引き戻した。
「そんなに心配しなくてもいいわよ、ととちゃん。みんなを乗せているから、十分安全運転を心がけているわ」
「そのスピードで安全運転をしていると言われても・・・」
巴の隣にいる翔太も不安の声を出す。
「ほわちゃんは平気なの?」
「全然、平気だよ。お姉ちゃんはこう見えても運転がすごくうまいから大丈夫だよ」
対照的に楽観的に答えるほたる。
「そうよね、ほわちゃんは静流さんの運転に慣れているもんね」
巴はがっくりとうなだれた。
「あ、いけない。このままだと渋滞に巻き込まれる可能性があるわね。よし、スピードを上げるわよ」
静流はアクセルを踏んだ。
「きゃああああ!」
「うわわわっ!」
その瞬間、巴と翔太が同時に悲鳴を上げた。
一気に加速した車は、通常の半分の時間で目的地である白河家に着いた。
その道中、2種類の悲鳴がひっきりなしに車内に響き渡ったのはいうまでもない。
ほたるは車から真っ先に降りると、家の門に向かった。
「うわあ、久しぶりの我が家だよ。懐かしいなあ。あ、お姉ちゃん、私の部屋ってどうなったの?やっぱりもうなくなったのかな」
「大丈夫よ。ほたるがいたときと同じように残しているわ」
続いて車を降りた静流が微笑みながら答える。
「よかったあ。ありがとう、お姉ちゃん」
ほたるは飛び跳ねんばかりに喜んだ。
「あれ、ととちゃんと翔太君、顔色が悪いけど、大丈夫?」
静流は最後に降りてきた巴と翔太の異変に気づき、心配そうに声をかけた。
「だ、大丈夫です・・・少し車酔いをしただけですから・・・」
「わ、私もです・・・」
翔太と巴はふらふらと頼りない足取りでこちらにやって来た。
「ごめんなさい。私が少しスピードを出しすぎたのがいけなかったみたいね」
静流が申し訳なさそうに謝る。
「ハハハ・・・あれで少しなんですね・・・」
翔太は力なく笑ってつぶやいた。
1年振りに里帰りを果たしたほたるが最初に家の中に入り、そのあと巴、翔太、静流の順で続いた。
静流はリビングに入ると、小声で巴に話しかけた。
「ととちゃん、悪いけど、例のものを持って来るから手伝ってくれないかしら」
「ああ、あれですね。分かりました」
巴はその言葉の意味をすぐ理解して大きくうなずくと、静流と一緒にリビングを離れた。
「あれ?お姉ちゃんとととちゃん、どこに行ったのかな?」
リビングのソファに腰掛けていたほたるは、ふたりの姿がないことに気づき、残っている翔太に尋ねた。
「おや?確かさっきまでいたはずなんだけど・・・」
翔太が周囲を見回す。
ちょうどそのとき、大きなチョコレートケーキを持った静流とジュースの入ったグラスを持った巴が戻って来た。
「おまたせ。今日はほたるが帰って来るということで、ととちゃんと一緒に作ってみたの」
「うわあ、おいしそうなチョコレートケーキ。ありがとう、お姉ちゃん、ととちゃん」
ケーキが視界に入るなり、たちまちほたるの目に輝きが帯び始めた。
「このケーキは自信作だから、期待してもいいわよ。ね、ととちゃん」
「うんうん。これは私と静流さんの最高傑作だよ」
静流と巴が得意げに話す。
「へえー、お姉ちゃんたちがそこまで言うなら、いやでも期待しちゃうよ」
ほたるは喜色満面の表情を見せた。
「さあ、早速食べましょ」
静流はチョコレートケーキをテーブルに置くと、ナイフで手際よく人数分に分け、みんなに配った。
「いっただきまーす」
真っ先にケーキを口にしたのはほたるだった。
「うん、すごくおいしい!」
「よかった、喜んでもらえて」
「エヘヘ、その言葉を聞いて安心したよ」
ほたるの幸せそうな顔を見て、静流と巴もつられて笑顔を浮かべた。
「あ、そういえば、ととちゃん。健ちゃんとは連絡取れた?もし、連絡ついたなら、ほたるが直接健ちゃんと会える日を調整したいんだけど・・・」
その言葉がほたるの口から出た刹那、巴と静流に動揺が走った。
「え、えっとね、その・・・」
答えに窮する巴。
劇場での一件から健とは連絡が取れず、ほたるの願いを叶えられなくなったのが結論なのだが、それを言うことがどうしてもできなかった。
せっかく、健との再会を楽しみにしている彼女にそのことを伝えれば、相当落ち込むのが手に取るように分かるからだ。
なんて答えればいいのか分からず、巴は途方に暮れ、思わず静流に助けを求めるような視線を送った。
静流も困惑したまなざしを送り返すことしかできなかった。
「健なら3日後に都合がいい時間があるみたいだから、そのときに会えるはずだよ」
そのとき、意外過ぎる言葉が翔太の口から発せられ、巴と静流を絶句させた。
「え、ほんとに!よかったあ、それじゃあ、ほたるが滞在している間に、健ちゃんと会うことができるんだね、翔たん」
「ああ。時間とかははっきり分からないけど、必ず会えるよ」
はしゃぐほたるに対し、翔太は穏やかな笑みを返した。
「ち、ちょっと、あんた!」
翔太の隣に座っていた巴は、彼のわき腹を軽く手の甲で叩くと、小声で話しかけた。
「ほわちゃんにそんなぬか喜びさせるようなこと言ってどうするの?イナはほわちゃんと会わないって言っているのはあんたも知っているでしょ!?」
「大丈夫だよ。ほたるちゃんは健と再会できるから、心配することはない」
翔太が同じく小声できっぱりと返答する。
「なんでそんなふうに言い切れるのよ?」
「昨日の占いで、星がそう教えてくれたからさ。ほたるちゃんと健は再会する。それは星の導きにより、決められたことなんだ」
「そういえば、あんたは占いに凝っていたんだっけ。だけど、そんなあてにもならない理由でそこまで言い切るなんて・・・」
巴は額に手を当て、うつむいた。
「心配することはないさ。ほたるちゃんの願いはきっと叶う。それは俺が保障する」
「保障するって、たかが占いでイナとほわちゃんが再会できるようになったら、苦労しないわよ」
翔太の力強い言葉を受けても、巴の心に安心感はまったく宿らなかった。
しかし、親友の願いを叶えてくれるのなら、そんなあやふやな星の導きなるものを信じたいとも思った。
星の導きなど信じているわけではない。
しかし、それがないとも言い切れない。
それなら、あるかどうか定かではないが、可能性を追求するという意味で、翔太の言葉を信じてもいいのではなかろうか。
どのみち、もはや自分の力ではどうすることもできないのだから。
───占いにすがるなんて、私もどうかしているかもね・・・
無邪気な笑顔を見せるほたると柔和な笑みを浮かべる翔太を交互に見ながら、巴は深いため息をついた。