ファーストプレリュード

第3章 ふたつの思いの狭間で

総次せんぱーい!」
背中越しに聞こえる元気な声が、校門から出ようとしていた総次の歩みを止めた。
振り返ると、手を振りながらこちらにやって来る小鳥の姿があった。
「待ってくださーい、総次先・・・きゃうっ!」
突然、小鳥は小さな悲鳴を上げると、派手に転んでしまった。
それを目の当たりにした総次は、慌てて彼女のもとに駆け寄った。
「小鳥ちゃん、大丈夫?」
「ぐすっ、痛いけど、大丈夫ですぅ」
小鳥はうっすらと涙を浮かべながら、総次が差し出した手をつかんで立ち上がった。
「ありがとうございます、総次先輩。総次先輩って優しいですね。小鳥、先輩のそういうところ大好きです!」
小鳥の顔に笑顔が戻る。
「いやあ、それほどでもないと思うけど・・・」
総次は頭をかきながら照れた。
「ところで、俺に何か用事があったんじゃないの?」
「あ、そうでした。あの、総次先輩、もしよかったら小鳥と一緒にハンバーガーを食べに行きませんか?」
「ハンバーガーか・・・ちょうど小腹が空いていたし、いいかもしれないな。よし、俺も付き合うことにするよ」
このあと、特にやることもなかったので、総次は小鳥の誘いを快諾した。
「やったあ!小鳥、大感激です!」
それを聞いた小鳥は手放しに喜んで、総次に抱きついた。
突飛な行動に総次が慌てふためく。
これは、廊下で彼女と初めて会ったときとまったく同じパターンであった。
「こ、小鳥ちゃん」
「エヘッ、それじゃ、行きましょう、総次先輩」
小鳥はいったん離れると、今度は自分の右腕を総次の左腕に絡めた。
一連のやりとりがかなり目立っていたせいか、気がつけばふたりは他の生徒からの注目の的となっていた。
突き刺さるような好奇の視線を感じ、総次はすっかり落ち着きを失ってしまった。
「こ、小鳥ちゃん、あの、みんなが見てるから、その・・・」
「大丈夫ですよ、総次先輩。小鳥は全然、気にしていませんから」
屈託のない笑みを浮かべながら小鳥が答える。
周囲のことなどお構いなしといった感じの小鳥に、総次は困り果ててしまった。
「いや、小鳥ちゃんがよくても、俺のほうが・・・」
「総次先輩・・・ひょっとして小鳥と腕組むのが嫌なんですか?」
急に悲しげな表情で総次を見つめる。その瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。
そんな彼女の仕草が総次をさらに慌てさせた。
ここで泣かれてしまっては、学校中の噂になってしまうのはほぼ間違いない。
しかも、この状況では自分が悪者になるのは必定だ。
それだけはなんとしても阻止しなくてはならない。
「いや、別に小鳥ちゃんと腕を組むのが嫌いって訳じゃないんだ。ただ・・・」
「よかったあ!総次先輩は小鳥のことが嫌いじゃないんですね。小鳥、それを聞いて安心しちゃいました」
小鳥は総次の会話を途中で遮ると、ふたたび笑顔を取り戻した。
一方的に話を打ち切られはしたものの、どうやら最悪の事態だけは免れることができた。
しかし、結果として小鳥と腕を組むことを容認した形になってしまった。
総次は自分の腕にしがみついている小鳥を見た。
小鳥は心の底から嬉しそうに笑っていた。
よほど腕を組むことを拒否されなかったことが嬉しかったのだろう。
こんな無邪気な笑顔を見せられてしまっては、もはや腕を組むのが恥ずかしいとか他人の目が気になるとか言えなくなった。
総次は仕方ないなと心の中でつぶやいた。
こういう展開になってしまっては、もう彼女の好きなようにさせるしかない。
そう考えた総次は、改めて小鳥と腕を組んで歩く決意を固めた。
「えっと、それじゃあ、行こうか」
「はい、総次先輩!」
総次は小鳥と腕を組みながら急ぎ足で学校を離れ、十夜商店街へ向かった。


十夜商店街にある「バーグパーク」は、ここ皐月町にしかないチェーン店で、種類豊富なシェイクとハンバーガーで有名なファーストフード店である。
この「バーグパーク」の存在を知らなかった総次は店内に入ると、まずシェイクの種類の多さに驚かされた。
「へえー、こんなにシェイクの種類が多いファーストフードのお店があったんだな」
総次はレジの前にあるメニューを感心しながら眺めた。
「ここはハンバーガーの種類も多いんですよ」
小鳥はニコニコしながらハンバーガーのメニューを指差した。
「ほんとだ。なんかいろいろあるな」
総次はメニューに視線をさまよわせた。
「ご注文はお決まりですか?」
レジに立っているアルバイトの女性が声を掛けてきた。
「あ、俺はてりやきバーガーのセットで、飲み物はコーラでお願いします」
「てりやきバーガーのセットで、飲み物がコーラですね。そちらのお客様は何になさいますか?」
「えーと、小鳥はですね、チーズバーガーとトリプルクラウンバーガーとかぼちゃコロッケバーガーとチキン南蛮バーガーをひとつずつとチェリーシェイクとライムシェイクでお願いしまーす」
小鳥の注文を聞いたとたん、店員と総次の表情が強張った。
「こ、小鳥ちゃん、まさかそれだけ食べるの?」
「ふえ、そうですけど、おかしいですか?」
目をまばたかせて小鳥が尋ね返す。
「あ、いや、別にそういう訳じゃないんだけど、全部食べきれるかなと思ってさ」
「大丈夫ですよ。小鳥、いつもこれぐらい食べてますから」
「そ、そうなんだ。それなら、いいんだけど・・・」
何事もなかったようにさらりと答える小鳥に対して、総次は戸惑いの色を隠せなかった。
アルバイトの女性も総次と同じ心境だったらしく、しばしのあいだ唖然となっていたが、気を取り直して注文の確認を始めた。
「あ、えーと、そちらのお客様のご注文を確認いたします。チーズバーガーとトリプルクラウンバーガーとかぼちゃコロッケバーガーとチキン南蛮バーガーをひとつずつとチェリーシェイクとライムシェイクをひとつずつでよろしいですか?」
「はーい、そうでーす」
「かしこまりました。それでは後ほどお席のほうまでお運びいたしますので、しばらくお待ちください」
「小鳥ちゃん、今日は俺がおごるよ」
総次は財布を取り出そうとした小鳥を制した。
「そんな、それじゃ総次先輩に悪いですよ。小鳥が全部おごります」
「いいっていいって。俺のほうが先輩だから、小鳥ちゃんにおごってもらうわけにはいかないよ」
「そうですか。それじゃあ、今日は総次先輩の好意に甘えちゃいますね。ごちそうになります、総次先輩」
小鳥は笑顔を浮かべながら頭を下げた。
「どういたしまして」
総次はレジで会計を済ませると、小鳥と一緒に2階へ上がり、窓際の席に着いた。
それから3分ほどして、注文したハンバーガーと飲み物が運ばれてきた。
小鳥の目の前に置かれたトレイを見て、総次は思わず圧倒されてしまった。
───本当にこれを全部食べるつもりなのか?
小柄な女の子である小鳥が、本当に4つのハンバーガーを食べるとは到底考えられなかった。
「いっただきまーす」
そんな思いをよそに小鳥は満面の笑みを浮かべながら、ひとつ目のハンバーガーを手にして食べ始めた。
「小鳥ちゃん、本当に大丈夫?」
さすがに心配になり、ふたたび声を掛ける。
「本当に大丈夫ですよ。このあいだ、青葉ちゃんとここに来たときは6個食べましたから」
小鳥がニコリと笑って答えたのに対し、総次は驚きの声を上げた。
「え、6個も!?青葉ちゃんは何も言わなかったのかい?」
「そうですねえ、最初の頃は青葉ちゃんも心配していましたけど、今は何も言いませんよ」
「そ、そうなんだ」
華奢なその体のどこに6個ものハンバーガーが入るのか、不思議でたまらなかった。
小鳥は平然とひとつ目のハンバーガーを平らげ、ふたつ目のハンバーガーを食べ始めた。
「総次先輩。先輩はどうして久遠高校に転校してきたんですか?」
「うん、実は俺もよく分からないんだ」
「ほえ、それってどういう意味なんですか?」
小鳥が首をかしげる。
「俺の親父が勝手決めたことだから、何故、ここに来たのか俺自身よく知らないんだ」
「総次先輩のお母さんのほうは、何も言わなかったのですか?」
「俺のお袋は小さいときに亡くなったから、いないんだよ」
「ご、ごめんなさい。失礼なことを言ってしまって」
総次の言葉を聞いた小鳥は頭を下げて謝った。
「いや、小鳥ちゃんは俺のお袋のことを知らなかったんだから、気にすることはないよ」
「本当にごめんなさい・・・ぐすっ」
総次は小鳥が突然、泣き出したのを見て慌てふためいた。
「こ、小鳥ちゃん、俺は本当に気にしていないから泣かないで」
「ぐすっ、総次先輩・・・お願いですから、小鳥のことを嫌いにならないでください」
「ああ。そんなことで嫌いになったりしないから大丈夫だよ」
総次は彼女を安心させるように笑顔を浮かべた。
「よかったあ」
その一言で小鳥の表情に笑顔が戻った。
「総次先輩、もしひとりで寂しかったら、小鳥に言ってください。小鳥、先輩とだったらどこでもお供しますから」
小鳥はそう言って、とびっきりの笑顔を見せた。
「ありがとう、小鳥ちゃん」
天使のような愛らしい笑顔に、総次もつられて笑みがこぼれた。
総次は彼女の気持ちが素直に嬉しかった。
今までは小鳥に対して「子供っぽい女の子」というイメージを持っていたが、今回の会話で「純真で優しい女の子」というイメージが新たに加わった。
小さな鳥に秘められた大きな純真と優しさ───それは計り知れなく広く、そして深かった。
小鳥の意外な一面を垣間見た総次はその日、彼女と楽しいひとときを過ごした。