ファーストプレリュード

澄み渡る青空と降り注ぐ太陽が、人々を外の世界に誘う。
『イデアールパーク』は、そんなひとたちが集まり、長蛇の列を作っていた。
休日ということもあり、家族連れが多く、噂以上の盛況ぶりを見せていた。
「うわあ、すごいひとだねえ」
紅葉は辺りをきょろきょろ見渡した。
「ああ。さすが皐月町最大のアミューズメントパークっていう肩書きを持っているだけのことはあるな」
総次はあまりのひとの多さに思わず感心してしまった。
「ほんとですね。これじゃ、ゆっくり見物できないかもしれませんね」
総次の隣にいた青葉が同感の意を示す。
「青葉ちゃん、今日はつきあってくれてありがとう」
「そんな、お礼を言うのは私のほうです。実は私、一度でいいからここに行ってみたいと思っていましたから」
青葉は微笑みながら答えた。
「そう言ってくれると俺も嬉しいよ」
その言葉を聞いて、総次も安堵の笑みを浮かべる。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、前のひとが動き出したよ。ね、早く行こう」
紅葉はいても立ってもいられないという感じで、総次と青葉の手を引っ張った。
───よかった。すっかり元気になったみたいだな。
嬉しそうな紅葉の顔を見て、総次は自分の取った行動が正しかったことを確信した。
紅葉を先頭に中に入ると、そこはまさに名前どおり「理想的な公園」だった。
種類豊富な大小のアトラクション、戦隊ものをイメージした催しを行っているイベントホール、子供たちに風船を渡しながら歩くぬいぐるみたちなどが、ところせましと点在していた。
また、行き交うひとびとからは常に歓声と笑顔が溢れ、このアミューズメントパークの充実感を顕著に表していた。
「うーん、どこから行けばいいか迷うな」
総次が立ち止まって考え込む。
「ねえねえ、お兄ちゃん。紅葉、あれに乗りたいな!」
紅葉が指を差したのは、巨大なジェットコースターだった。
「あれか・・・青葉ちゃんはあれでもいいかい?」
「私は別に構いませんよ」
「そうか。それじゃ、最初はあのジェットコースターに行こう」
こうして最初の目的地が決まった。
総次たちの向かったアトラクションは「インフィニティメガロゾーンコースター」という名のジェットコースターで、かなりの人間が集まっていた。
総次は並んでいる間に、そのコースターを観察してみた。
複雑に入り組んだレールの上を、漆黒の長い車体が目にも止まらぬ速さで滑走していく。
想像以上のスピードに総次は急に恐怖感を覚えた。
実は今まで、こういうところに行ったことがなかったので、ジェットコースターそのものに乗るのこと自体が初めてだったりする。
何しろ、ほとんどひとりでいることが多かったので、アミューズメントパークなんかとはまったく無縁だったからだ。
───大丈夫、怖くなんかない・・・怖くなんか・・・
そう心の中で言い聞かせれば言い聞かせるほど、かえって逆効果となっていった。
「あ、次乗れそうだよ」
紅葉が嬉しそうに言うのと同時に、3人はコースターの中に案内された。
総次は、大きな不安を抱えたまま、安全ベルトを締めた。
そして、ついに「インフィニティメガロゾーンコースター」が動き出した。
「・・・!」
総次は襲いかかる急激な加速力と遠心力に、声にならない悲鳴を上げた。
あまりの恐怖に、声すら出なかったのは不幸中の幸いといえるだろう。
「インフィニティメガロゾーンコースター」は、高速で縦横無尽の動きを披露した。
時間的にはそれほど経っていなかったが、総次にとっては無限に感じられた。
車両が出発地点に戻ったとき、総次は精神的及び肉体的疲労に見舞われた。
「あー、すごく楽しかったね、お姉ちゃん」
「うん、そうね」
前の座席に並んで座っていた水無月姉妹が満面の笑みを浮かべながら、勢いよく車両から降りた。
そのあとに、後部にいた総次が続こうとする。
ところが、足がすくんでしまって思うように動かなかった。
総次は両手をついて、無理やり立ち上がった。
と次の瞬間、足がもつれてその場に倒れそうになった。
「だ、大丈夫ですか、お客さん」
そんな総次を間一髪で係員がとっさに支えた。
「す、すみません」
顔を赤らめながら離れる。
「総次さん、大丈夫ですか?」
青葉が心配そうに覗き込む。
「大丈夫、ちょっと足がもつれちゃっただけだから」
総次は、青葉に向かって作り笑いを浮かべた。きっと情けない顔をしているんだろうな、と総次は悲観的な思いを抱いた。
「もうっ、お兄ちゃんってば、男のくせにだらしないぞ!」
紅葉が腰に手を当て、総次を軽く睨みつけた。
「面目ない・・・」
がっくりとうなだれる。
その姿を見た青葉が小さく笑った。
「う、青葉ちゃんにまで笑われてしまうとは・・・」
総次は、あまりの情けなさに、穴があったら入りたい心境にかられた。
「ウフフ、ごめんなさい。総次さんも可愛いところがあるんだなって思ったら、つい・・・」
ふたたび笑い出す。
総次は深いため息をついて、ガックリと肩を落とした。
面目はまるつぶれとなり、もはや反論の余地などどこにもなかった。
───どこかで名誉挽回せねば・・・
総次は新たな決意を宿した。
「さあ、次はどこがいいかな?」
開口一番、紅葉がまわりを見渡した。
「ねえ、あれなんてどうかしら?」
今度は青葉が何かを指差した。
それは人工的に作られた緩やかな滝を降っていく大きな船だった。
「あ、あれならそんなにスピードが出ないから、お兄ちゃんでも大丈夫そうだね」
「どうですか、総次さん?」
青葉が総次に尋ねる。
「ああ、それでいいよ」
年下の女の子たちに、気を使われるようでは、情けないことこの上ない。
総次は気落ちしたまま、第2のアトラクションに向かうこととなった。
───確かにこれなら大丈夫かも・・・
はるか頭上から降っていく船は、先ほどの「インフィニティメガロゾーンコースター」に比べると、格段にスピードが遅かったので、総次の不安は一掃された。
しかし、その船に乗ったあと、それが甘い考えだったことを思い知らされた。
確かに船の速さは「インフィニティメガロゾーンコースター」に比べると、格段に落ちる。
そのかわり、滝のところどころに設けられた小さな段差によって、船は激しく上下に揺れ、その振動は予想をはるかに超えていた。
そのおかげで、乗り物に慣れていない総次は完全に船酔いと同じ状態となり、またもや係員の世話を受けてしまった。
───情けない・・・・
一気に暗い気分に陥る。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
船を最後に降りた総次に、紅葉が心配そうに声をかける。
「あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっと乗り物酔いしただけだから」
総次はまた情けない姿をさらしたことに、激しく後悔した。
「そうですか。それじゃ、もうお昼だし、どこかで休憩しませんか?」
「そうだな。ちょうど近くに休憩所みたいな場所があるようだから、そこで休憩しよう」
総次たちは、白いテーブルがいくつも置かれているオープンテラスに向かった。
「総次さん、何か飲み物でも買ってきましょうか?」
「ああ、それじゃ、何か炭酸飲料をお願いしようかな」
テラスの一角に落ち着いた総次は、青葉の善意に甘えることにした。
「分かりました。紅葉は何がいい?」
「紅葉はメロンソーダがいいな」
「うん、分かった。それじゃ、行ってきますね」
青葉は売店に向かった。
「お兄ちゃん、今日は本当にありがとう。紅葉、こんなに楽しいと思ったのは、ほんと久しぶりだよ」
「そうか。俺もみんなとここに来られて嬉しいよ」
「エヘへ、お兄ちゃんがそう言ってくれると、紅葉も嬉しいな」
屈託のない笑顔を浮かべる。
その笑顔は、今まで見たどの紅葉の笑顔よりも輝いているように感じられた。
素直な笑顔というべきであろうか。
とにかく今日の紅葉の笑顔は、一段と可愛いと総次は思った。
───これが本当の笑顔なんだ。
紅葉の笑顔につられるかのように、総次の顔にも自然と笑みがこぼれた。
「おまたせしました」
ちょうどそのとき、青葉がジュースを持って戻って来た。
「ありがとう、青葉ちゃん」
総次が礼を言って、ジュースを受け取る。
「どういたしまして」
青葉は紅葉にメロンソーダを渡すと、向かいの椅子に腰掛けた。
「お姉ちゃん、確か今日、お弁当作ってくれたんだよね。紅葉、すっごくおなかすいちゃったから、ここで食べようよ」
「はいはい。それじゃ、すぐ用意するわね」
青葉が持ってきたバスケットを取り出し、蓋を開けた。
中にはハムサンドとタマゴサンド、鳥のから揚げ、ポテトサラダがぎっしりと入っていた。
「いっただきまーす」
紅葉が最初にハムサンドを口に入れた。
「うん、すごくおいしい。やっぱりお姉ちゃんの料理は最高だよね」
「フフフ、そんなに慌てて食べなくても、たくさんあるからゆっくり食べなさい」
青葉が嬉しそうにしながら、紅葉に注意する。
「はーい」
紅葉は素直な返事を返して、食べるペースを落とした。
「それじゃ、俺もいただこうかな」
総次は鳥のから揚げをつまんだ。
適度なしょう油の味加減が絶妙に施されていて、食欲をそそった。
「どうですか?」
「うん、すごくおいしいよ」
「よかった。今日は急いで作ったので、あまり自信がなかったんです」
「急いでもこれだけ作れるんだから、青葉ちゃんの料理の腕前には感心させられるよ」
「そ、そうですか。私なんてお母さんに比べるとまだまだです」
青葉は照れてしまったのか、そのまま顔をうつむかせた。
「お兄ちゃん、このサンドイッチもおいしいよ」
紅葉がハムサンドを総次に向かって差し出す。
「そうか。それじゃ、そっちも頂こうかな」
総次はそれを受け取って食べた。
昼食を平らげた総次たちは、ふたたびパーク内を歩いた。
「今度はあそこに行こうよ」
と紅葉が指差したのは、お化け屋敷だった。
「そういえば、お化け屋敷なんてずっと入っていなかったわね」
「でしょでしょ。だから、久しぶりに入ってみようよ」
「そうね。少し怖いけど、入ってみようかしら。総次さんはどうですか?」
青葉が総次のほうに顔を向ける。
「ああ、行き先はふたりにまかせるよ」
「じゃ、決まりだね」
この瞬間、次の目的地が決定した。
お化け屋敷の中は、真っ暗でひんやりとした冷気が流れていた。
「なんか怖いね」
紅葉が総次の右腕に寄りかかりながら、不安そうな表情を浮かべた。
と次の瞬間、頭上から女性の生首がぶら下がってきた。
『きゃあああ!』
両脇にいた姉妹が同時に悲鳴を上げ、総次の腕にしがみついた。
それぞれの腕に伝わる柔らかい感触に、総次は違った意味で心臓が高鳴った。
───こういうのは大歓迎かも・・・
総次は自然と顔がにやけていることに気付き、慌てて気を引き締めようとした。
こんなだらしない顔を見られては、ふたりに幻滅されるのは必至だ。
そうならないよう総次は努めて冷静を保とうとしたが、男の悲しい本能によって、努力はすぐに水の泡となった。
しょせん、可愛い女の子に囲まれている状況で、冷静にいられること自体が自分には無理だった。
「ふたりとも、作り物なんだから、大丈夫だよ」
このままでは理性が危ないと思った総次は、青葉と紅葉に安心させるように明るい口調で言った。
「でも、やっぱり怖いよぉ」
紅葉は総次の体を自分のほうに引き寄せようとした。
「あ、総次さん、あんまり離れないでください」
今度は反対側にいた青葉が総次の体を引っ張る。
「イタタ、ふたりとも、そんなに引っ張らないでくれ」
総次は嬉しい悲鳴を上げた。
この先は総次にとっては、まさに天国と地獄だった。
何かが飛び出すたびに青葉と紅葉が悲鳴を上げ、しがみついてくる。
これはすごく嬉しいことなのだが、はっきりいって理性がいつ失ってもおかしくない状況でもあった。
そんな総次の気持ちも知らずに、美少女姉妹は容赦なく体をすり寄せてくる。
そのぶん、役得を味わえるが同じくらい理性の壁が崩れていった。
───このままじゃ、ほんとにやばいかもしれない・・・
総次は懸命に壁の崩壊を食い止めようとした。
そのおかげで、ここから出るまでのあいだに、肉体的よりも精神的に疲労した。
「ふえー、怖かったあ」
出口に到着すると、紅葉が涙目でつぶやいた。
「あんなに怖いとは思わなかったわ」
青葉はそう言って、ため息をついた。
「あれ、総次さん、顔が真っ赤ですけど、どうしたんですか?」
「あ、いや、ちょっと室内が熱かったみたいだから、それで顔がほてっているんだよ」
慌てて答える総次。
ここで本当の理由を知られるわけにはいかない。
「あ、もうこんな時間・・・もう帰らないといけませんね」
青葉が腕時計を見て言った。
「えー、もう帰るのー?まだ明るいよ」
紅葉が名残惜しそうに訴える。
「今日はお母さん、仕事で帰りが遅いから、夕ごはんの準備もしないといけないの。だから、あまり遅くまでいられないの」
「そうなんだ・・・」
寂しげな表情を浮かべる。
「紅葉ちゃん、『イデアールパーク』は逃げたりしないから、また今度俺たちと一緒に行けばいいさ」
総次は紅葉の頭に手を置いた。
「ほんとにまたここに連れて行ってくれる?」
「ああ」
「約束だよ、お兄ちゃん」
紅葉は総次に自分の小指を突き出した。
「約束するよ」
総次はその小さな指に自分の指を絡め、約束の指切りをした。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った」
絡めた小指が離れる。
「お姉ちゃんもいい?」
「いいわよ」
青葉も笑顔で妹と小指を絡めた。
『指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った』
ふたりの声が重なり合い、同じように小指が離れる。
「総次さん。私もお願いします」
今度は青葉が小指を総次に向けた。
「ああ」
総次は青葉の小指にも、約束の指切りを交わした。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「うん」
「はい」
総次たちは『イデアールパーク』を後にした。
最寄りの駅から電車に乗ると、紅葉が総次にもたれかかるように眠ってしまった。
「よく眠っているな」
愛らしい寝息と寝顔に、総次は目を細めた。
「ほんとですね。今日はよほどはしゃいでいましたから、きっと疲れてしまったんだと思います」
青葉は穏やかな微笑みを浮かべながら妹をみつめた。
「総次さん、今日は本当にありがとうございました。おかげで私も紅葉もすごく楽しめました」
青葉はとびっきりの笑顔を見せた。
その笑顔も紅葉と同様に、今までとは違って輝いていた。
───か、可愛い・・・
そんな青葉を見て、思わず総次の胸が高鳴り出した。
「俺も青葉ちゃんや紅葉ちゃんと一緒に行くことができて、とても楽しかったよ」
これが素直な答えだった。
総次も今まで、こんなふうに誰かと行楽地に行ったことがなかったので、この1日はとても貴重なものとなった。
初めは紅葉を元気付けるためと思っていたが、結果的に自分までも楽しめたのだから、まさに一石二鳥の成果といえる。
感謝するのはむしろ自分のほうかもしれない。
総次はそう思わずにはいられなかった。
「総次さん、また今度必ず行きましょう」
「ああ、絶対に行こう」
総次と青葉は、窓辺に降り注ぐ茜色の光を浴びながら、互いに強い誓いを立てた。