ダ・カーポⅡ外伝~TIME WILL SHINE~

第6話 目覚めた記憶

「リュミール!」
私が買い物から戻ると、勇斗様が今にも泣きそうな顔をして駆け寄ってきました。その様子からして、ただごとではないことがうかがえます。自然と緊張が走りました。
「どうしたのですか?」
「お母さんが・・・お母さんが・・・とにかく来て!」
勇斗様は私の手を引っぱりました。
私は勇斗様に連れられて家の中に入りました。リビング手前で私は驚く光景を見ました。電話の置いてある場所で麻衣様が倒れていたのです。
「麻衣様!」
私は急いで麻衣様のもとに行きました。すぐに私の持つシステムを使って状態を確認します。
呼吸、脈拍ともに異常なし。血圧もやや低いですが、問題ありません。どうやら気を失っているだけのようです。それを知り、私は安堵しました。しかし、何故急にそうなってしまったのかが気になります。一番考えられるのは、何かのショックによるものだと思うのですが・・・
「麻衣様、麻衣様」
私は軽く揺すりながら呼びかけました。しかし、麻衣様の意識は戻りません。私はさらに呼びかけました。
「麻衣様、麻衣様」
すると、麻衣様の体が微かに動き、うっすらと目を開けました。
「リュミール・・・」
「麻衣様、いったいどうなさったのですか?」
「麻耶が・・・麻耶が交通事故にあったという電話が入ったの・・・あの子がそんなことになるなんて・・・」
麻衣様は私の腕の中で、弱々しくつぶやきました。あの穏やかな微笑を浮かべていた面影はどこにもありません。それだけ事態の深刻さが浮き彫りになっていました。
「お姉ちゃんが・・・うそでしょ・・・」
後ろで様子を見ていた勇斗様は、その場で泣き出しました。私たちのいる空間が一気に凍てつきました。
つい昨日まで幸せだった日常は、何の前触れもなく崩れ落ちました。


病院で知らされた麻耶様の状態は最悪ではありませんでしたが、限りなくそれに近い状態でした。意識不明の重体で、助かる見込みは少ないということでした。
沢井家に戻った私は、病院で一緒になった美夏とリビングで待機しました。この前まで温かくて穏やかな賑わいがあった家が、今はうそのように静まり返っています。そんな中にいますので、私は重苦しさを感じずにはいられませんでした。
「おばさんと勇斗の様子はどうだ?」
「麻衣様は寝室でお休みになっています。今のところ落ち着いていますが、精神的なダメージは大きいようです。勇斗様はご自分の部屋にいます。勇斗様もかなり落ち込んでいます。美夏様、こういうときはどうすればいいのでしょうか?」
私は思わず尋ねてしまいました。ロボットとして失格である質問だということは承知しています。しかし、どうしたらいいのか本当に分からならいので、あえて尋ねました。何としても麻衣様と勇斗様の力になりたかったからです。
「今の私たちにできることは麻耶の無事を祈るだけだ」
重い口調で出した美夏の答えは私が期待しているものとはほど遠いものでした。
「たったそれだけなのですか?他に勇斗様や麻衣様にして差し上げられることはないのですか?」
私は必死になってしまいました。今まで感じたことのなかった苛立ちに背中を押されました。
「リュミール。美夏たちロボットは人間よりもはるかに優れた性能を持っている。でも、残念ながら全知全能ではないのだ」
美夏は静かな口調で私に言い聞かせました。その言葉が重く私の心にのしかかり、失いつつあったロボットらしからぬ感情を沈めてくれました。
確かにそのとおりです。私にも当然できないことがあります。今の状況もそのひとつです。しかし、知っていても理解したくないという気持ちがありました。本当はこんなことではいけないと分かっているのですが・・・
「リュミール、一緒に麻耶の無事を祈ろう。ロボットだからって神様に祈ってはいけないってことはないからな」
「・・・はい・・・」
神様に祈ることしかできない自分が、どうしようもなくもどかしくて仕方ありませんでした。


夜が更けて、静寂がいっそう強くなりました。
私は勇斗様の部屋の前まで足を運びました。そっとしておいたほうがいいのではないかと思っていたのですが、やはり様子が気になりますので、迷った末に入ることにしました。
私はノックをしました。しかし、いつもの元気な返事がしません。もう寝てしまったのかもしれませんが、どうしても勇斗様の様子が気になりますので、ためらいがちに中に入りました。
勇斗様は真っ暗な部屋の片隅で膝を抱えて座っていました。いつもなら私を見たら無邪気な笑顔を返してくれるはずなのですが、今は身動きひとつしません。その様はまるで自分だけの世界に入って、外の出来事を拒絶しているかのようでした。
「勇斗様、今日はもうお休みになられたほうがいいです」
私の言葉に勇斗様は反応しませんでした。
「勇斗様・・・」
「・・・どうしてこんなことになっちゃうのかな・・・」
さらに呼びかけようとしたとき、不意に勇斗様が顔を上げました。その瞳は涙がひっきりなしに流れていました。
「お父さんが死んじゃって、今度はお姉ちゃんまで死んでしまうかもしれないなんて・・・僕たちは何も悪いことしてないのに、どうしてこんな目に合わなくちゃいけないの・・・こんなの嫌だよ・・・」
勇斗様の瞳から悲哀の滴が堰を切ったように流れ落ちました。勇斗様の悲痛な言葉に私は胸が切り裂かれるような痛みを覚えました。
こんな勇斗様は見たくありません。だから、何とかお慰めしようと思考回路を最大限発揮しました。ところが、どうすればいいのか思いつきません。何かしてあげたいのに何もできない。何て私は無力なロボットなのでしょうか。
私はただ立って様子を見ることしかできませんでした。それがとても悲しく、そして自分自身に対して腹が立ちました。
何か、何かないの?勇斗様にして差し上げられることはないの?
私は焦燥感に背中を押されながら必死に手段を探そうと試みました。
そのときです。
私のメモリーに鮮やかに咲き乱れる桜の大樹のビジョンが映し出されました。
そうだ、私は・・・
この瞬間、すべての記憶が甦りました。
「勇斗様・・・」
私は勇斗様のもとに歩み寄ると、そっとその壊れそうな体を抱きしめました。
「リュミール・・・」
「勇斗様、麻耶様のことは心配ありません。麻耶様は必ず私がお救いいたします。ですから、もう泣かないでください」
私はそう言って勇斗様を放すと、ひとしきりの笑顔を送って部屋をあとにしました。
このあと、私はそのまま家を出て、桜公園に行きました。そして、園内にある『枯れない桜』の前に立って見上げました。
「あなたは私、私はあなた・・・私たちはすべてのひとを幸せにするために造られた。誰も悲しい思いをしないですむ世界を造るために」
私は『枯れない桜』に優しく語りかけました。私はここにいる理由をようやく思い出しました。もうやるべきことも分かっています。今思えばそのために私がいるのかもしれません。
「私たちのしてきたことは間違いではなかったと思う。ただ、その方法が違っていただけで、そのために誤解が生じ、否定されてしまっただけ・・・でも、私たちは無用の存在となったわけではない。今、私たちの力を必要としているひとがいるから・・・だから、枯れない桜よ、私の大事なひとたちのために最後の奇跡を・・・」
私は『枯れない桜』にそっと触れました。
その刹那、闇夜の公園が伝説の桜色に染まりました。