気づかなかった過ち

「おい、勇作、なんとかしてくれよ」
昼休みに入った直後、着席している松戸勇作のもとにクラスメイトである男子生徒がやってきた。
多分、またあの話だなと勇作は直感した。
「何を?」
一応きいてみる。
「メアリッテのことだよ。彼女のあのなんだ、でっかい楽器を吹くのをやめさせてくれよ」
予感的中。やっぱりそうか、と勇作は心の中でため息をついた。
「リッテも悪気があってやっているわけじゃないんだ」
「そうかもしれんが、実際あの音に迷惑しているのは俺だけじゃないはずだぞ。あの音は一種の騒音だ」
クラスメイトの言うとおりだった。この件で勇作に苦情を受けた回数は、彼を含めて5人目となる。確かにメアリッテが吹いている楽器、バグパイプの音は大きいので、うるさいと思われても仕方ない部分がある。だから、クラスメイトの言い分は理解できた。
「とにかく、勇作はメアリッテの彼氏なんだから、ちゃんと言っておいてくれよ」
そう言ってクラスメイトは立ち去った。
勇作はその背中を見送ったあと、重いため息をついた。


放課後、勇作はメアリッテと一緒に川原にやって来た。そこは通学路の途中にあり、ふたりがよく一緒に過ごす場所でもあった。秘密のデートスポットみたいなところである。
メアリッテは持っていたバグパイプを思いっきり吹いた。
重厚な大音が空に吸い込まれていく。勇作は気にならないが、他人がうるさく感じる気持ちも分からなくもなかった。
さてどうしたものかと思案する。正直なところ言いにくい。メアリッテがところ構わず学校中でバグパイプを吹いているのには、ちゃんとしたわけがある。ただ、みんなに楽しい気持ちになってもらいたいと思ってやっているだけで、悪意とかはこれっぽっちもないのだ。
当人はよかれとやっているのだが、残念ながら周囲の人間には迷惑の産物としか思われていない。もし、そのことをメアリッテが知れば、きっと悲しい気持ちになるだろう。悲哀の色で染まった彼女の顔などみたくない。それだけはなんとしても避けたかった。
そうするためには、特別な言葉が必要となる。彼女の行動を自然とやめさせて、なおかつ傷つけずにすむ言葉が。だが、そんな都合のいい言葉は簡単に見つからなかった。
「どうしたの?」
メアリッテが勇作の顔をのぞきこむような仕草をとった。
「あ、いや、なんでもないよ」
不意打ちのように声を掛けられ、勇作は動揺してしまった。
メアリッテはつぶらな瞳で勇作をしばし見つめたあと、弱く微笑んだ。寂しげな微笑だった。
「私にバグパイプを吹くのをやめてもらいたいと思っているんでしょ?」
「どうしてそれを?」
動揺がさらに激しくなる。
「偶然、聞いちゃったの。勇作君とクラスメイトの男の子との会話を」
「そうか・・・」
勇作はどう答えていいか分からず困ってしまった。
「勇作君は私を傷つけないようにしようと思ったから、言い出せなかったんだよね。でもね、勇作君、それって優しさなんかじゃないよ」
メアリッテの瞳が微かに揺れる。
「え?」
思いがけない発言に勇作は驚かずにはいられなかった。
「私がこの世界に残ってから、勇作君は私に本音をぶつけなくなったよね。それが私に対する気遣いからくるものだって分かっているけど、だけどそんなふうにされるとかえってつらいの。なんか一線引かれた感じがして、私たちの間に溝ができちゃってるみたいだから・・・」
「リッテ・・・」
勇作は、このとき初めてメアリッテの隠れていた心情を知った。
メアリッテが自分のせいで故郷や家族、友人といった大切なものを失ったあの日から、勇作は二度と彼女に悲しい思いをさせないと誓った。いつも笑顔でいられるように。その愛らしい瞳から悲哀の涙がこぼれ落ちないように。彼女と会うたび、常にそのことだけを考え、細心の注意を払ってきた。
しかし、それが間違いのもとだったと今さらながら気づいた。メアリッテを大切に思うが故、知らず知らずのうちに厳しいことが言えなくなってしまった。悲しませてはいけないという強すぎる気持ちが、彼女に対する遠慮へとつながっていったのだ。まったくもって彼女の言うとおりだった。
「ねえ、勇作君、私たちは恋人同士だよね?」
メアリッテは真剣なまなざしで勇作を見た。
「当たり前じゃないか。僕たちはその、間違いなく恋人同士だよ」
勇作は耳を朱色に染めながら、メアリッテの瞳を真っ向から受け止めた。
「だったら、遠慮しないで。気持ちを隠したままの言葉なんて、私は欲しくない。私は勇作君の思ってることや考えていることが全部知りたいの。そして、私の思ってることや考えていることを、知ってもらいたいの。私は勇作君とそんな恋人同士の関係になりたいってずっと思ってるから・・・」
「ごめん、リッテ、僕が間違っていたよ」
ただ謝ることしかできない自分が情けなくて腹立たしかった。
「ううん、分かってくれればそれでいいよ。それにもとはといえば、私がしっかりしていれば、勇作君に余計な心配をかけずにすんだんだから、悪いのは私のほうだね。私のほうこそごめんなさい」
「いや、リッテは悪くないよ!悪いのはリッテの気持ちに気づいてやれなかった僕のほうだよ!」
「ううん、悪いのは私のほうだよ!」
対峙して言い合ったのち、しばしの沈黙が訪れた。
それからほどなくして、同時にふたりが吹き出した。
「今回はおあいこってことにしよう」
「うん、そうだね」
ひとりしきり笑い合って、一件落着となった。
「リッテ、そのさっきのバグパイプのことなんだけど・・・」
「うん、分かってる。学校のひとたちが迷惑に思っているのなら仕方ないよね。私は喜んでもらうつもりでやっていたんだけど、逆に迷惑になっていたんだね・・・」
メアリッテはそう言うと、寂しげな笑みを見せた。
彼女の表情が勇作の小さな胸の痛みをもたらした。
「ねえ、もしかして勇作君も迷惑だと思ってた?」
今度は不安げな瞳を勇作に向けた。
「そんなことないよ。僕はリッテのバグパイプの音が好きだよ」
「本当に?」
まだ彼女の目には不安が残っていた。
「本当だよ。リッテのバグパイプの音色を聞いていると、なんか元気になるんだよ。どんなことがあっても、頑張れるって気になるんだ」
勇作は満面の笑みで答えた。今の言葉に偽りはない。好きなひとがやっている行為というひいきがあるのも事実だが、それでも好きという気持ちはまぎれもなく本物だった。
メアリッテは、勇作の笑みにつられたかのように表情を崩した。
「嬉しい・・・勇作君にそう言ってもらえて、すごく嬉しいよ。だって、世界で一番好きなひとに、私の好きなものを好きだって言ってもらえたんだから」
感激のあまり、心なしか瞳が潤んでいる。
メアリッテのまっすぐな気持ちに、勇作は恥ずかしさを伴ったくすぐったさを覚えた。
「リッテ、せっかくだから一曲演奏してくれないか。とびっきり景気のいいやつがいいな」
「うん、喜んで。真心を込めて演奏するね」
メアリッテは無邪気な笑顔を勇作に送ると、バグパイプを加えて目一杯吹いた。
黄昏色の空に重厚な音が広がっていく。
最愛の少女が奏でる調べは、本人の心を表しているかのように、騒がしくて明るくて、それでいてとても美しかった。