早すぎたお菓子

午前中の授業が終わり、お昼休みに入ると、ある少女の机の上は、お菓子の山でてんこ盛りとなる。ポテトチップス系のスナック菓子もあれば、チョコレートの箱もある。一応甘いものと辛いもののバランスは、とれているような気がする。恐らく、それを見込んでチョイスしたのだろう。甘いものばかりでは飽きるだろうし。
毎度おなじみの光景だが、何度見ても圧巻だった。学校には勉強しにではなく、お菓子を食べに来ているのではないかと思ってしまう。それだけインパクトが強いのだ。
直枝理樹は、そんな彼女の席に立ち寄った。こうして昼休みに足を運ぶのもおなじみの行為だった。
「神北さん、相変わらずすごいお菓子の量だね」
「あ、直枝くん。でも、昨日よりは量を減らしているの。おこずかいピンチだから」
神北小毬はポテトチップスを持つ手を止めて答えた。
「そうなんだ」
まったくそうは見えないんですけど、と心の中で苦笑する。いつも見ていても、さすがにそれは分からなかった。
小毬は犬の形をしたサブレを一枚差し出した。
「直枝君も食べる?」
「ありがとう」
理樹はありがたく受け取った。
「ごめんね。本当はもっとあげたかったけど、量が少なくなっているから」
「ううん、気にしないで。これだけで十分だよ」
申し訳なさそうにする小毬に向かって、理樹は笑顔で答えた。
「それにしても、ごはん食べたあとによくそれだけのお菓子が食べられるね。あ、まさか昼飯がお菓子だけってことはないよね?」
「うん、お昼はちゃんと食べてるよ。ごはんはごはん。お菓子はお菓子。ごはんが主食、お菓子はデザートです」
と、真顔で理樹の疑問に答える。
「それならいいんだけど。さすがにお菓子だけじゃ体に悪いからね」
「心配してくれてありがとう。直枝君はいいお婿さんになれるよ」
「ハハハ、ありがとう」
的外れな褒め言葉に理樹は苦笑した。もっとも、会話が微妙にずれていくのは今に始まったことではないので、いつもどおりだといえる。
───しかし、よくこれだけお菓子ばかり食べて太らないものだ。
これが小毬に関する大いなる不思議のひとつだった。
毎日、山のように食べているのにデブにならない。本人曰く、「お菓子は別腹」と言っていたが、本当にそうなのかもしれない。まったくもって謎のメカニズムだった。
「お、相変わらず食べてるね。こまりん」
ここで四つの玉でサイドテールを結った女の子が、屈託のない笑顔を浮かべてやって来た。
彼女の名前は三枝葉留佳。この学園内では知らぬ者がいないほど知名度のある少女だった。とはいえ、それは『学園のアイドル』とか『学園きっての天才』とかいう代物ではない。学園屈指の問題児として名が通っているのだ。何しろ、彼女が来た場所には必ず騒ぎが起こるという定説が確立しているぐらいであるから、その有名ぶりは推して知るべしである。
トラブルハリケーンこと三枝葉留佳は、理樹とは別のクラスにいるのだが、何故かいつも進路はここに定めて上陸していた。その理由は定かではないが、おかげで理樹たちのクラスは、彼女が去ったあとの後始末に追われていた。
葉留佳の登場に、理樹は嫌な予感と新たなトラブルの予感を同時に感じた。
「ふーむ、やっぱり、こうして見ると、こまりんはお子様っぽいね」
葉留佳がにやりとした。
「私のどこがお子様っぽいの?」
頬を膨らませて小毬が尋ねる。その仕草が子供っぽいと思ったのはここだけのはなしだ。
「お菓子に囲まれているだけで、私幸せーって顔で食べているところよ。本当にお子様まるだしね」
「むー、それは偏見です。お菓子は大人でも食べます。小毬はまだ大人になっていませんけど」
「じゃあ、やっぱりお子様ってことね」
「お子様じゃありません!」
「でも、大人じゃないんでしょ」
「大人じゃないけど、お子様でもありません!」
だんだん不毛な戦いの様相になっていく。完全にかやの外となった理樹は、黙って小毬と葉留佳を見るしかなかった。
「うー、それなら明日、私がお菓子を食べるのは、お子様だけじゃないって証明してみせます」
「へえー、それは面白そうだねえ。期待してるよ」
「お子様じゃない私を見せてあげます」
ふたりの乙女は睨み合った。
───なんでこうなるんだ?
これが理樹の率直な感想だった。


翌日の昼休み、小毬の机は一変していた。お菓子の山はなく、代わりにこげ茶色の立派なつくりの箱がひとつだけあった。
「これは何?」
葉留佳は箱をまじまじと見た。
「えっと、うなぎパイV.S.O.Pって書いてあるな」
理樹は蓋に書かれている文字をそのまま読んだ。
「これは大人しか食べちゃいけないといわれている禁断のお菓子です。これを食べて、みんなより先に大人の階段を上って、お菓子を食べる子がお子様じゃないって証明します」
小毬は真剣な面持ちで宣言した。
「いや、別にそれを食べたからと言って大人になるわけじゃないと思うんだけど・・・」
理樹が思わずツッコミを入れるが、小毬の耳にはまったく入らなかった。
「それでは今から食べます」
小毬は箱を開けると、うなぎパイをひとつ手にとって封を切った。普段見せない小毬の素振りのせいか、理樹も葉留佳も何故かつられて固唾を飲んで様子を見守った。
小毬は恐る恐るうなぎパイを口に入れた。その瞬間、彼女の顔が歪んだ。
「あうー、おいしくないです・・・でも、頑張って食べなきゃです」
目を閉じてうなぎパイを食べた。
五枚ほど食べたところで、不意に小毬の手が止まった。
「神北さん?」
異変に気づいた理樹が声をかける。
小毬は、その声に何も答えずに持っていたうなぎパイを机の上に投げると、ふらりと立ち上がって理樹に近づいた。
「直枝くん・・・好き・・・」
そして、理樹の体にもたれかかるように倒れこんだ。
「えええええっ!」
急な告白に理樹は驚きの声を上げた。
「おおおおっ、いきなりの大胆告白ですか?こまりんもやるわねえ」
そばにいた葉留佳も目を大きく見開いた。
「ちょ、ちょっと神北さん・・・!」
予想外すぎる展開に理樹は完全にパニック状態へと陥った。
「直枝くんは、お菓子ばかり食べるお子様は嫌い?」
小毬は顔を上げて理樹を見つめた。密着した体の感触とほんのり染まった顔と潤んだ瞳が理樹をドキドキさせた。
「いや、嫌いじゃないけど・・・」
「よかったあ。それじゃあ、小毬をお嫁にもらってください」
「お、お嫁さんって、そういうのはもっと時間をかけて考えたほうが・・・」
「もしかして、やっぱりお菓子ばかり食べるお子様は嫌いなの?」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。それが理樹をさらに慌てさせた。
「あ、いや、そういうわけじゃないんだ!好き嫌いという問題じゃなく、なんていうか・・・」
何か言わなければと思うのだが、うまい言葉が出てこない。
───神北さんは、少し変わっているところがあるけど、可愛いし、性格も悪くないし、思った以上にスタイルもいいし、このままOKしても・・・って、僕は何を考えているんだ!
理樹は危うく自分を見失うところまで追いつめられていた。もはやこれは誘惑以外の何ものでもなくなっていた。可愛い女の子が無防備に体を預けているのだから。これで理性を失わないほうがある意味おかしいといえる。男は誰でも狼なのである。
「えっと、神北さん。神北さんの気持ちは嬉しいんだけど、やっぱりこういうことは、もっとお互いのことを知ってからのほうが・・・あれ?」
理樹は視線を斜めに落とした直後、腕の中にいる小毬が寝息を立てていることに気づいた。
「もしかして、寝ちゃったとか」
「そうみたいだね。多分、このうなぎパイのせいだと思うよ。お酒の成分が入っているみたいだから」
葉留佳がうなぎパイを持ったまま言った。
「なるほど。つまりそれで酔っ払ったってことか」
「そうみたい。たいした量じゃないはずなのに、これで酔っちゃうなんて、こまりんらしいね」
理樹もまったくもってそのとおりだと思った。
「ということで、面白いものが見られましたので、私は退散します。あとのことはよろしく」
と言うなり、葉留佳は駆け出した。
「あ、ちょっと待って!」
呼び止めたところで、葉留佳が立ち止まって振り返った。
「あ、そうそう、お互いのことを知るためだとか言って、保健室でえっちなことしちゃ駄目だぞ」
「するか!」
ふたたび走り出した葉留佳の背中に向かって、理樹が叫んだ。
「まったくひとの気も知らないで・・・」
理樹は小毬に目をやった。小毬は能天気に眠っていた。こちらもひとの気を知るよしもないひとりだった。
「本当にしょうがないなあ」
無邪気な少女の寝顔に理樹は穏やかなまなざしを送った。