雪月花の絆

馴染みの甘味処である「花より団子」は、相変わらず制服姿の学生で賑わっていた。比率は男子3、女子7といったところだろうか。女の子は甘いものが大好きだという言葉を裏付けている光景だといえた。
花咲茜は友人の雪村杏と一緒に江戸時代の茶店を連想させるような席に並んで座って、甘味を味わっていた。いつもならもうひとり友人がいるのだが、今日は意図的にふたりで来ていた。
「うーん、相変わらずここの栗ぜんざいはおいしいねえー」
茜は音を立てながらすすったあと、至福のため息をついた。
「これはやっぱり天変地異の前ぶりかしら。あのキングオブたかりの茜がおごってくれるなんて」
隣にいた杏はそうつぶやくと、漆の椀に口を当てた。
「もうっ、杏ちゃんてば、ひどいなー。私だってたまにはおごるときはあるよー。たかるのは、お馬鹿な男の子たちだけからだよー」
茜が頬を膨らませて抗議する。
「それなら小恋が一緒のときにおごってくれればいいのに」
「小恋ちゃんは部活があったから誘えなかったの。それに、さすがにふたり分はきつすぎるよ」
「大丈夫。茜が何も注文せずに見学すれば問題ないわ」
「うー、杏ちゃんの意地悪ー。それって、盗っ人に追い銭ってやつだよ」
「うーん、この場合は盗っ人にも三分の理のほうがぴったりかもしれないわ」
「意味わかんないけど、どっちにしても、ひどいはなしだよー」
「まあ、細かいことは気にしないで」
「何それー」
ここでふたりは笑い合った。
「それで、今日は何のはなし?といっても、だいたい察しがつくけど」
杏が真顔に戻った。
「うん、お察しのとおりのはなしだよ。小恋ちゃんのことなんだけど、杏ちゃんは小恋ちゃんのことどう思ってるの?」
茜は真剣な面持ちで、もうひとりの友人である月島小恋の名前を口にした。
「どうって?」
「うーんとね、うまく言えないんだけど、ほら杏ちゃんは義之君と恋人同士になったじゃない。それでね、小恋ちゃんと気まずくなっていないかなって思ったの」
「まったく気まずくないといえば嘘になるかもしれないけど、表面的には今までと同じふうに話しているわ」
杏はそう答えると、お茶をひと口飲んだ。
「そっか・・・」
とりあえずひと息をつく。言葉の真偽は定かではなかったが、感じからしてどうやら最悪の形にはなっていないようだった。
「ねえ、茜、逆に茜は私のことどう思ってる?」
「え?」
予想の範囲外からの問いかけに茜は思わず言葉を詰まらせた。
「どうって・・・」
「私はつくづく自分が身勝手な女だって思うの。小恋の気持ちを知っておきながら義之と恋人同士なって小恋の思いを踏みにじったのに、それなのに小恋とはこのまま親友でいたいと願っている。本当に私は、わがままで身勝手な女よね」
杏は両膝の上の置いた椀に視線を向けたまま、自嘲気味に言った。
「そんなことないよ!」
茜はたまらず強い口調で杏の言葉を否定した。自らを卑下する親友をこれ以上見たくなったからだ。
「茜・・・」
杏は驚きの視線を向けた。
「杏ちゃんは嫌な女の子なんかじゃないよ。それは仕方のないことだよ。だって、それが人を好きになるってことなんだから」
静かに告げる。そう、人を好きになる気持ちは誰しもが持っているのだから、杏が親友の片思いの相手を好きになってしまっても非難されるいわれなどない。親友が好きな相手だからといって簡単に引き下がれるものなら苦悩したりしない。彼女だってきっと眠れないほど悩んだはずだ。恋と友情の狭間にある迷宮で、必死に自分だけの出口を探し続けたに違いない。それは雪村杏と月島小恋の親友である茜が一番よく知っていた。知っているからこそ、杏の言葉がたまらなく悲しく思えてならなかった。
「ありがとう、茜。それから心配をかけてごめんなさい」
杏の柔らかい笑顔を浮かべた。
「ううん。杏ちゃんも小恋ちゃんも私の大切なお友達だから、心配するのは当たり前のことだよ」
茜はやんわりと首を横に振った。
「小恋はどう思ってるか分からないけど、少なくとも私はさっき言ったとおり、小恋とはこれからも親友同士であり続けたいと思ってる。それが私の偽りのない本心よ。だから、もし小恋のことで何かあったら力を貸して」
「もちろんだよ。私も全力でサポートするからまかせて」
茜は自慢の胸を力強く叩いた。
「ありがとう。それじゃあ、心配してくれたお礼として、今日は私がおごらせてもらうわ」
杏は置いてあった伝票を手に取った。
「あ、いいよ、今日は私がおごるつもりで連れて来たんだから、私が払うよ」
「いいえ、ここは私が払うわ。そのかわり、次は茜がおごってちょうだい。それならいいでしょ」
「うーん、杏ちゃんがそう言ってくれるのなら、お言葉に甘えさせちゃってもらおうかなあ」
茜は少し考えてから答えをだした。実は内心渡りに船だとか思っていたりする。今月の財布事情が厳しかったからだ。
「そうしなさい。それじゃあ、そういうことで約束しましょう」
杏は右手の小指を立てて前に出した。
「うん、約束」
茜は杏の小指に自分の小指を絡めた。
『指きりげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った』
ふたりは指切りを交わした。
「茜、約束破ったら針千本だからね」
杏は微笑をたたえながら言った。


翌日の放課後、今度は小恋と一緒に「花より団子」へ行った。
「うーん、茜がおごってくれるなんて、明日は地震か大雪が起こりそうだね」
「もうー、なんてこと言うのよー。そんなに私がおごるのって珍しいの?」
茜は非難の声を上げた。杏といい、小恋といい、ひどい言いようだ。
「うん」
即答だった。
「あ、そうですか。じゃあ、おごるのやめちゃおっかなあ」
「あー、うそうそ。冗談ですよー、茜さまー」
わざと冷たい態度をとると、小恋は慌てて笑ってごまかした。
「ねえ、小恋ちゃん、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「ん、なあに?」
団子を持ったままの姿勢で小恋が尋ねる。
「えっとね、杏ちゃんのことなんだけど、小恋ちゃんは杏ちゃんのことどう思ってる?」
「急にどうしたの?」
不思議そうな顔をする。
「いいから答えて」
茜は間髪入れず迫った。ここは押しの一手が一番効果あるはずだ。
「どうって、茜と一緒で大事な友達だよ。もうっ、今さら何言ってるのよ」
「へ・・・」
茜は思わず間抜けな声を出してしまった。
「え、えっとお・・・それだけ?」
「それ以外何かあるの?」
逆に質問されてしまった。
会話が寸断されて、おかしな沈黙が流れる。
───そうだった。これが小恋ちゃんなんだよねえ・・・
親友の天然さに変な意味で感心した。
「うーんと、質問をかえるね。あのね、杏ちゃんが義之君と付き合うようになったでしょ。そのことで小恋ちゃんが悩んでいたりしないかなあって思ったんだけど、どうかな?」
茜は気を取り直して尋ねた。
「ああ、やっぱりそのことかあ」
小恋は軽く手のひらを叩いた。
「それなら大丈夫だよ。私は杏のことを恨んだり嫌ったりしていないから。だって、杏は私にとって大切な親友だもん。確かに完全にふっきれたわけじゃないけど、相手が杏ならいいと思ってるよ」
と言って屈託なく笑う。その表情からは嘘は微塵も感じられなかった。
「そっか・・・」
いかにも小恋らしい答えだと茜は思った。それだけに不憫さを感じずにはいられなかった。
小恋は本当に友達思いの優しい子だ。いつも周りに気を使い、自分のことをあとにしてしまう。そして、いつも損な役回りばかりを受け持ってしまう。今回の義之の件のように。
だから、小恋の小さな恋の後押しをしてきたのだが、残念ながら薄紅色の思いの花は散ってしまった。もうひとりの親友の手によって、そうなってしまったのだから、茜の心境は複雑だった。
もちろん、どちらもひいきするつもりはないし、できるわけがない。小恋も杏もかけがえのない友だちなのだから。それゆえに、どうしたらいいのか困る部分が多々あった。
───よりによって、私がこんなドラマ真っ青の恋愛ストーリーにサブキャラとして参加しちゃうなんてねえ・・・
今さらながらしみじみ思う。
好きを言えた少女。
好きを言い出せなかった少女。
同じ好きを持っていたふたりのヒロインの明暗は、くっきりと分かれてしまった。悲しいが、これがどうしようもない現実なのだ。
「茜、わざわざ心配してくれてありがとう。でも、義之と杏が付き合うようになったからって、私と杏の関係は壊れたりしないよ。だって、私たちは三人そろってこその雪月花だからね」
小恋は無邪気に笑った。
「雪月花か・・・そうだね、確かに私たちのうちひとりでも欠けちゃったら、雪月花じゃなくなるよね」
茜はなるほどと思った。
「そうそう。実はね私、この雪月花という呼ばれ方気に入っているの。なんか一体感があるっていう感じがして、いいなあって思ってるんだあ」
「へえー、そうなんだ。そう言われると、私も気に入ってきちゃった」
小恋のはなしを聞いているうちに、雪月花という言葉に三人の固い友情を感じることができた。どんなことがあっても三人の友情は絶対に変わらないという気持ちになれた。
「でしょ。ということで、これからもよろしくねー」
「こちらこそ、よろしくー」
花を名に宿す少女と月を名に宿す少女は、互いにお辞儀をしたあと一緒に笑った。
「あ、そういえば、今日は茜のおごりなんだよね?」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
突然の質問に茜は怪訝そうに尋ねた。
「いや、なんか立て続けにおごってもらって、本当にいいのかなあって思ってさあ・・・」
「ちょっとちょっと、おごるのは今日だけだよ!」
慌てて異議を唱える。
「え、でも、杏から今度の休みは茜のおごりで新しくオープンしたレストランに行くことになっているから、予定を空けて置くようにって言われたよ。私、すごく行きたかったから、ちょうどよかったよ」
小恋はそう言って能天気な笑みを浮かべた。
「えええええっ!」
茜は思わず驚天動地の叫びを上げてしまった。周囲の客の視線が集中したが、それどころではなかった。
「ううー、杏ちゃんめー、そういう暴挙に出るなんて信じらんなーい!」
してやったりというような笑みを浮かべる杏の顔を想像してしまい、茜はその場で地団駄を踏んだ。
その横では小恋がしきりに首を傾げていた。