Memorise Off2nd~Cross aubade~

最終章 唯一無二の笑顔を

ほたるの短い休暇が終わり、ふたたびウイーンに戻る日がやって来た。
ほたるは空港のロビーで、見送りに来た面々と最後の談笑を交わしていた。
「ほわちゃん、たまには電話してよね」
巴は別れを惜しむかのように、ほたるの手を握って言った。
「うん、必ずするよ。ととちゃんもほたるの携帯に電話してね。それとメールもね」
「OK。一流の女優になるための経過報告を逐次送るね」
「それじゃあ、ほたるは一流のピアニストになるための経過報告を送るよ」
ほたると巴は顔を見合わせて笑った。
「それじゃあ、俺はほたるちゃんが戻って来るまで一流の占い師になっておくよ」
翔太は微笑みながらふたりの会話に加わった。
「そうなる前に、詐欺罪で警察に捕まっていたりして」
巴がいたずらっぽい笑みを浮かべながら横槍を入れる。
「ひどいなあ。ととちゃんは俺のことをそんな悪人のように思っていたんだ」
口を尖らせる。
「うーん、悪人だとは思っていないけど、かなり怪しい人物だと思ってるよ」
「イタタ、これは手厳しいな」
翔太は思わず苦笑いを浮かべた。
「ととちゃん、そんなこと言っちゃ翔たんに悪いよ。翔たんなら、きっと一流の占い師になれるよ」
ほたるはすかさず助け舟を出した。
「さすがほたるちゃんはお目が高いね。俺が占い師になったあかつきには、無料で占ってあげるよ」
「ありがと。ほたるが日本に戻ったらお願いするね」
今度はほたると翔太が顔を見合わせ笑った。
「ほたる、向こうに着いたらすぐ連絡しなさい。それから、くれぐれも健康管理だけはしっかりね。夜更かしとかもほどほどにしないと駄目よ。それから・・・」
「もう、お姉ちゃんったら、そんなに心配しないでよ。ほたるはもう子供じゃないんだから」
ほたるはすねたような表情を静流に見せた。
「私から見れば、まだまだ子供よ。とにかく何か困ったことがあったら、お姉ちゃんに言いなさいね。いい?」
「はーい、分かりました」
「うん、いい子ね」
静流は妹の頭を撫でて微笑んだ。短いやりとりだったが、姉妹の深いつながりを表しているようなひとコマだった。
「それじゃあ、もうすぐ出発の時間だから、ほたるはもう行くね。みんな、短いあいだだったけど、本当にありがとう」
飛行機の離陸時刻が近づいていることに気づいたほたるは、にっこりと愛らしい笑顔を浮かべ一礼をした。
「ほわちゃん、気をつけて帰ってね」
「ほたるちゃん、また会える日を楽しみにしているよ」
「ほたる、頑張ってね」
巴、翔太、静流の3人はそれぞれ別れの挨拶を口にした。
「じゃあね、みんな。バイバイ」
ほたるは3人に手を振ると、きびすを返して歩き出した。
途中、大きな円柱の柱のある場所に足を踏み入れると、ほたるは一度立ち止まった。
そして、柱に向かって小さく手を振ると、ふたたびゲートに向かって歩を進めた。
その柱の陰には、こっそりほたるの見送りに来ていた健の姿があった。
健は、ほたるがこちらの存在に気づいたことに驚いていた。
いつ頃、自分の存在に気づいていたのだろうかと思いながら、小さくなっていく彼女の背中を見送る。
───さようなら、ほたる・・・そして、ありがとう。今度会える日が来るまで、ぼくはぼくにしかできないものを見つけてみせるよ・・・
健は、別れの挨拶と感謝の言葉と新たな決意を心の中でつぶやいた。


ほたるの見送りを終えた健は、そのまま公園に向かった。もちろん、目的は唯笑に会うためである。
唯笑は初めて会った場所に立っていた。
「今坂さん」
健の呼びかけに唯笑が顔を向ける。
「あ、伊波さん。こんにちは」
彼女の顔を見た瞬間、健は違和感を覚えた。いつも唯笑から漂っていた悲しみの気配が消え去っていたからである。
その変化の理由を尋ねるよりも先に唯笑が質問をしてきた。
「伊波さん、ほたるさんとはもう会いましたか?」
「ええ、会いましたよ」
「そうですか、それを聞いて安心しました。実は、私もずっと会いたいと思っていた幼なじみと最近会うことができたんです。だから、伊波さんがほたるさんと会ってくれて、すごく嬉しいです」
唯笑はまるで自分のことのように喜んだ。
「そうだったんですか」
今の話を聞いて、健は唯笑の雰囲気が変わった理由を知ることができた。
「私、その幼なじみと会って、今までずっと忘れていた大切なことを教えてもらいました。おかげで出会いによって、大切なことを得られることをそのとき初めて知りました」
唯笑は目を細めながらそう言った。
「ぼくもほたると会って、大切なことを教わりました。この出会いのきっかけを作ってくれたひとたちに今は感謝しています」
と言って健が同感の意を示す。
出会いはひとを変えるという言葉をどこかで耳にしたことがあったが、まさにそのとおりだと思わずにはいられなかった。
再会を渇望し、ようやく叶えることができた唯笑。
元恋人の会いたいという願いを叶えた健。
再会までの経緯や思いこそ違うものの、ふたりは大切なひととの出会いという共通した出来事によって、大切なことを教えられた。そういった意味で、健と唯笑は貴重な出会いを果たしたといえよう。
「伊波さん、あの、もしよかったら今から私と街の中を散歩しませんか?」
「え、散歩・・・ですか?」
唯笑の唐突な申し出に、健は驚いてしまった。
「はい。私、ここ1年のあいだ、あまり街の中を歩いていなかったので、今日から少しずつ見て回ろうかなと思っているんです。それでもし、伊波さんのお勧めの場所なんかがあれば、一緒に教えてもらおうかなと思ったんですけど、駄目ですか?」
「あ、いえ、ぼくでよければお供しますよ」
「よかったあ。ありがとうございます、伊波さん」
唯笑は安堵のため息をついて笑顔を作った。
その瞬間、トクンと健の心臓が大きく脈打った。今、彼女が見せた笑顔は、ものすごくまぶしくてかつ愛らしかった。
見ているだけでこちらまで元気になるような笑顔・・・これが彼女本来の笑顔だと健は確信した。
───この笑顔を何度も見てみたい。
健は胸の高鳴りと比例した強い気持ちを抱いた。
唯笑がいつも笑っていられるようにするにはどうすればいいのか、今の健には分からない。しかし、必ずその方法はあると断言できる。
健はその術を探してみたいと強く思った。彼女しか持っていない唯一無二の笑顔を何度も見られるようにするために・・・
幸いにも、そうするための時間はまだ多く残されている。焦らずゆっくりと唯笑と会い、話でもしながらお互いのことを知っていけばいい。この瞬間、健の心は新たな決意で満たされた。
「それじゃあ、行きましょうか」
「ええ」
健と唯笑は互いに顔を見合わせて微笑むと、並んで公園をあとにした。