Memorise Off2nd~Cross aubade~

第2章 運命のキーホルダー

今日、いつもより早くバイトを終えた健は、その帰り道の途中でよく見かける公園に立ち寄った。
公園の中にはシーソーやブランコといったありきたりな遊び道具しかなかったが、それなりに数はそろっており、子供たちの元気に遊ぶ姿が見受けられた。
健は噴水の前を横切りながら、何気に辺りを見回した。
そして、健の視界にある少女の姿が映った瞬間、歩みが止まった。
歳は自分と同じか少し年下ぐらいだろうか。
今、立っている位置からは横顔しか見えないので、はっきりとは言い切れないが、愛らしい顔立ちをしているように感じられる。
しかし、健の興味は少女の顔よりも瞳に向けられていた。
その瞳は悲しみに満ちていた。
何故、そんなに悲しそうな瞳をしているのだろうか?
そう思えば思うほど、少女に視線が釘つけとなった。
とそのとき、不意に少女がこちらに顔を向けた。
「と、智ちゃん・・・!」
少女は目を大きく見開きながら、驚きの声を上げた。
「え?」
少女の発した言葉に、健は驚きの色を隠せなかった。
「あ・・・」
一方、少女のほうは一変して、口に手を当てながら困惑の表情を浮かべた。
しばしのあいだ、ふたりはお互いに見つめあったまま、石像と化していたが、先に少女のほうが動きを見せた。
「・・・そうだよね・・・智ちゃんがここにいるわけないもんね・・・」
目を伏せながらつぶやく。
「ごめんなさい、私のひと違いです・・・」
少女は小さく頭を下げると、こちらに背を向けて走り去った。
「あ、ちょっと・・・」
健が呼び止めるよりも早く、少女は公園から姿を消した。
ひとりになった健は、少女のいなくなった方向をしばらく眺めた。
「あの娘、泣いていたような気が・・・」
健は、少女が走り去ろうとしたときに、その瞳から一滴の涙がこぼれ落ちたことに気付いた。
───ぼくを誰と間違えたのだろうか?また、なんでぼくを見て泣いたりしたのだろうか?
ふたつの疑問が芽生えた瞬間、健はその理由をどうしても知りたくなった。
それを知るには彼女ともう一度会うしかない。しかし、残念ながら会う方法を知らない。
健はどうしようもないもどかしさを覚えた。
「ん、あれは・・・」
健は少女がいた場所に何かが落ちていることに気付いた。
それは覆面をした猫のキーホルダーだった。
「あの娘が落としたのか・・・」
健はキーホルダーを拾ってつぶやいた。
もしかしたら、キーホルダーを探すため、またここにやって来るかもしれない。
それなら明日、この公園に行けば、彼女と会えるかもしれない。
そのときに、この落し物を返せばいいだろう。
どのみち、これを警察に届けても、あまり意味がなさそうだし、今から少女を探し出して届けるのも、まず無理だといえるのだから。
───明日、またここに行こう。
健はそう決めると、公園を後にした。


翌日、健が公園に足を運ぶと、予想どおり昨日の少女の姿があった。
少女は地面を見ながら、昨日いた場所をうろうろしていた。
きっとあのキーホルダーを探しているのだろう。
健は必死になってキーホルダーを探す少女に近づいた。
「あの・・・探し物ってこれじゃないですか?」
「あ、それ・・・!」
健が取り出したキーホルダーを見た少女は、愛らしい瞳を大きく見開いた。
「昨日、あなたが立っていた場所に落ちていたんです」
と言って少女にキーホルダーを渡す。
「ああ、よかったあ・・・」
よほど大切なものだったらしく、キーホルダーを受け取ったときの少女の顔は安堵の色一色に染まっていた。
少女は大事そうにキーホルダーを両手で包み込むと、健に視線を向けた。
「私の1番の宝物を拾ってくれて、ありがとうございます。あの、私は今坂唯笑といいます。もし、よかったらお名前を教えてくれませんか?」
「あ、ぼくは伊波健といいます」
「伊波健さん・・・」
今坂唯笑と名乗った少女は、じっと健を見つめた。
「やっぱり違う・・・でも、どこか似ている・・・」
「え?」
「あ、いえ、何でもありません。ごめんなさい・・・」
唯笑は弱々しく首を振って謝った。
───また、昨日と同じだ・・・
少女は明らかに自分と別の誰かを重ねて見ている。
今ならそれが誰かを聞き出せる絶好のチャンスである。
しかも、これを逃せばもう機会はないといってもおかしくない。
しかし、唯笑の悲しげな表情を見て、それが立ち入ってはいけない聖域だと健は悟った。
「そういえば、今坂さんの下の名前って珍しいですね」
健は湧き上がる好奇心を押さえるため、話題を変えてみることにした。
「ええ、初めてのひとはよくそう言います。唯、笑うって書いて『唯笑』と呼ぶんですよ」
「へえ、そうなんですか」
健は、小さく何度かうなずいて納得した。
きっと彼女の両親が、いつも笑っていられるようにと願いを込めて名付けたのだろう。
ただし、本人には悪いが今は名前と正反対な雰囲気しか感じられなかった。
もっとも、笑えばきっとその名前にふさわしい笑顔を見せるとは思うのだが。
「今坂さんはよくここに来るんですか?」
「ええ、ここは私にとってかけがえのない思い出の場所ですから・・・」
唯笑は視線を公園の一角にある砂場に向けた。
その先にはロングヘアの女の子とショートカットの女の子と活発そうな男の子が一緒に遊んでいる光景があった。
「あの頃は彩ちゃんも智ちゃんも唯笑のそばにいてくれた・・・でも、今は・・・」
唯笑はキーホルダーを握り締めながら小刻みに体を震わせた。
「今坂さん・・・」
健はそっと唯笑の横顔を覗き込んだ。
深い悲しみが宿った瞳が印象的だった。
「・・・私、もう行きますね。伊波さん、キーホルダーをわざわざ届けてくれて、本当にありがとうございました」
唯笑は深く一礼すると、小走りで走り去った。
「思い出・・・か・・・」
健は、小さくなっていくその背中を見送りながらつぶやいた。
『ここは私にとってかけがえのない思い出の場所ですから・・・』
『あの頃は彩ちゃんも智ちゃんもいた・・・』
唯笑が最後に残した言葉が鮮明に思い出される。
詳しい経緯は知らないが、今の唯笑は“思い出”という鎖に縛られ、立ち止まったままでいるのは直感的に分かった。
背景こそ違うものの、彼女も健と同じだといっても過言ではない。
目的が見つけられず、前に進めない健。
思い出に縛られ、歩き出せずにいる唯笑。
ふたりは時間の流れとは対照的に、いつまでも同じところに止まったままだった。
───今坂唯笑か・・・
健は無償に彼女のことを気にしていた。
同じ立場にいる故、気になる存在となる。その気持ちの流れはごく自然な流れだといえるだろう。
もし、運命の出会いというものがあるなら、これがそうではないか?
キーホルダーが示し合わせた出会いに、健は新たな予感を感じていた。