ファーストプレリュード

プロローグ

それは半年ぶりに戻った父親の言葉が始まりだった。
「は?今なんて言ったんだ?」
伊倉総次は突然現れた父親に冷たい視線を送った。
「何度も同じことを言わすな。おまえは転校することになったから、今すぐ荷物をまとめて皐月町へ行け」
総次の父親--伊倉総大は無愛想な言葉を返すと、傷みの激しい棚からウイスキーのボトルを取り出した。
「勝手に決めるな、このクソ親父!俺は転校なんて認めないぞ!」
総次の怒鳴り声が今まで見ていたテレビの音声をかき消した。
「もう転校の手続きは済ませてある。それにこの家はもう他人の手に渡ったから、このままここにいると、不法侵入で留置所へ直行だぞ。まあ、留置所へ行く機会なんて滅多にないから、これをきっかけに行ってみるのも悪くないかもな」
総大は何事もなかったように総次の横を通り抜けると、ソファーに腰掛け、ボトルごしにウイスキーを飲んだ。
「なんてことしやがるんだ!よりによってこの家を売るなんて!」
突拍子もない発言に総次の怒りは頂点に達した。
「この家は私が買ったものだ。だから、どうしようと、それは私の自由だ。おまえにとやかく言われる筋合いはない」
総大はさらりと言う。それを聞いた総次は怒りを通り越し、呆れ果ててしまった。
目の前でウイスキーを煽る男の常軌を逸した言動は今に始まったことではないが、今回は全く予想できない行動だった。普通の親なら、息子の生活場所をいとも簡単に手放し、勝手に転校させたりするはずがない。
普通の家庭の父親が具体的にどんなものか総次は知らないが、少なくともこんな無軌道な性格はしていないと断言できる。
--しかし、これで考古学者が勤まるんだから、不思議だよな・・・
今まで何度も思った疑問が総次の脳裏によぎる。
外見はむさ苦しい飲んだくれオヤジなのだが、それでも考古学者という肩書きを持つ知識人であることに変わりはない。しかも、学会でも名の知れた学者だと言われている。考古学者としての総大の姿をよく知らない総次だが、父親の書斎にある書物や標本を見るたび、
それが本当だと確信できる。疑問に思っても、それが現実だと総次は改めて思った。
「ふう、もうなくなったか」
総大は空になったボトルを名残惜しそうに置いた。
「私はまた旅に出る。おまえも今日中に荷物をまとめて皐月町へ行き、この地図に書いて
ある家へ向かえ」
そう言って立ち上がり、1枚の紙を放り投げ、出入り口のドアに向かって歩き始めた。
「こら、まだ話は終わっていないぞ、クソ親父!」
総次の声に反応して、一瞬、総大の歩みが止まる。
「総次よ、新天地で自分の目的を捜して来い。自分にしか出来ない何かをな」
バタンというドアの閉まる音がして、総大の姿がリビングから消えた。
「ったく、いつもながら自分勝手な奴だ」
ぼんやりと父親が出たばかりのドアを見ながらつぶやいた。今すぐ追いかければ、総大を捕まえることが出来るかもしれないが、総次はあえてそうしなかった。父親が1度決めたことを簡単に覆すような人間ではないことは、子供である自分が1番よく知っている。それに、今回の出来事には何か特別な意味があるような気がしたからである。もっとも、これは自分の直感なのだが・・・
「仕方ない。俺もとりあえず皐月町へ行くしかないな。これからのことはそこで考えればいいしな。と、そのまえにあのバカ親父が残したボトルの片付けが先か」
総次は空になったボトルを持って、リビングを後にした。