Swear Kiss

「魁斗さん、魁斗さん・・・」
誰かが眠っている俺を起こそうとしている。
誰だ、俺の眠りを妨げる奴は・・・
一応、起きようと努力してみるが、俺の意思に反してまぶたが微動だにしなかった。
「魁斗さん、魁斗さんってば!もうっ!よし、こうなったら・・・えーい!」
ドスッ!
「ぐはあっ!」
突然、みぞおちに重い衝撃を受けた俺は、強制的に起こされてしまった。
「イテテテ、誰だ、こんな乱暴な起こし方するのは」
俺が目を開けると、すぐそばによく知っている少女の顔があった。
「おはよう、魁斗さん。お目覚めですか?」
少女は俺に向かって、愛らしい笑顔を送った。
この娘の名は織田桐姫乃。超有名なアイドルなのだが、実は俺の恋人でもある。
超有名なアイドルとただの大学生である俺が恋人同士なのは、恐らく世界の七不思議に匹敵するぐらいのミステリーといえるだろう。
しかし、これが現実なのだから、世の中の摂理とはかくも不思議なものである。
「姫乃・・・おまえなあ、もう少し優しく起こそうって気はないのか?」
俺はベッドから起き上がると、姫乃をにらみつけた。
「何度呼んでも起きなかった魁斗さんがいけないんだよ。それに、美紗さんが言ってたよ。魁斗さんがなかなか起きないときは、遠慮せず肘か膝を使いなさいって。あ、ちなみにこの起こし方も美紗さんから教わったんだけど、効果てきめんね」
姫乃はそう言って感心していた。
「そりゃあ、みぞおちにエルボーを喰らったら、誰だって目が覚めるって。まったく、うちの姉貴もロクなことを教えないな」
俺は肩をすくめた。
まだみぞおちが痛い。
そういえば、姉貴からも同じことをやられたな。
それを考えれば、姫乃の起こし方はまだ可愛いほうだといえる。
なぜなら、姉貴のエルボー&二―ドロップは、体重の乗せ方も角度も完璧で、喰らうと少なくとも5分は悶絶してしまうからだ。
「魁斗さん、目が覚めたなら、すぐ準備してね。今日は久しぶりのデートなんだから、時間がもったいないわ」
「おっと、そうだったな。えっと、姫乃はどこか行きたい場所とかあるのか?」
「私、アクアパークに行きたいわ」
「OK。じゃあ、きりきり準備するから待っていてくれ」
俺は姫乃にうながされ、すばやく着替えをすませた。


秋月アクアパーク。
水と緑溢れるこの公園は、今の俺を築き上げた原点の場所だった。そして、また俺と姫乃が運命的な出会いをし、それぞれの思いを育んだ場所でもある。
俺と姫乃はそんな思い出深い公園をのんびりと散策していた。
「確かこのあたりだったよね。魁斗さんが倒れていた場所って」
姫乃はぽつんとベンチが置かれている場所を指差しながら言った。
「ああ。ここで俺は力尽きてみんなに助けてもらったんだよな。でも、あのとき姫乃がいることには気づかなかったよ」
「まあ、せっかく助けてあげたのにひどい」
「ハハハ、ごめんごめん。そういえば、初めて姫乃と会った場所もこのあたりだったよな」
「ええ。ここで私が魁斗さんとぶつかったんだっけ。なんか懐かしいなあ」
「ああ。ここでの生活が思い出されるぜ」
俺は昔のことを振り返った。
俺は今でこそきちんとしたアパートに住んでいるが、その昔、家出してここで路上生活をしていた時期があった。俗にいうホームレスというやつだ。
路上生活はいろいろと不便なところもあったが、この生活を通じてさまざまな出会いを重ね、心の成長を得ることができた。
今の自分があるのも、この公園があったからこそだといえるだろう。
「私、ここで魁斗さんと出会っていなければ、きっとアイドルをやめていたと思うわ。だから、私、魁斗さんと魁斗さんに会わせてくれた神様に感謝してる」
姫乃は幸せそうな笑みを俺に送った。
それを見て、俺も幸せな気分になった。
「俺もここで姫乃と会っていなかったら、いつまでも何も出来ない甘ちゃんのままだったと思う。俺も姫乃と姫乃に会わせてくれた神様に感謝してるよ」
「魁斗さん・・・」
姫乃は嬉しそうな顔をして俺を見つめた。
「あ、そうだ。姫乃、お昼はどうしようか?近くの店で済ませるか、それともウインズスクウェアに行って食べるか・・・」
「ウフフフ」
姫乃は意味深な笑みを浮かべると、持っていた鞄から大きな包みを取り出した。
「おっ、それってもしかして・・・」
「ええ、私が作ったお弁当よ。今日のために練習して作ったの」
「おお、姫乃の手作り弁当か。そういえば、姫乃の手作り弁当って初めて食べるんだよな。よし、少しお昼には早いが、食べることにしよう」
「それじゃあ、むこうの芝生で食べましょ」
こうして、俺たちは、少し早めのランチタイムを取ることとなった。
映える緑の芝生の上に腰を降ろし、姫乃が弁当箱を開く。
その中身を見て、俺は思わずつばを飲み込んだ。
「こいつはうまそうだ」
「さあ、どうぞ召し上がれ」
「いただきまーす」
俺は姫乃が差し出した割り箸を持つと、玉子焼きをつまみ、口にいれた。
・・・に、にがっ!
口中になんともいえない苦味が広がる。
これは本当に食べ物なのか?
そう思わせるほどの味だった。
「どうですか?」
興味津々といったまなざしで姫乃が尋ねる。
「この苦味がテイスティだね、ハハハ・・・」
さすがに率直な感想をいうのはまずいと思い、俺は作り笑いを浮かべ、その場を取り繕った。
うーん、まさかここまでひどいとは・・・いや、待てよ、たまたまこの玉子焼きだけが失敗しているだけかもしれないぞ。うん、そうだ、そうに違いない!
無理やりそう決めつけた俺は、隣にあったウインナーを食べてみた。
か、からっ!
激辛ウインナーが甘口に思えるほどの辛さだった。
「ひ、姫乃、水、水・・・」
「あ、はい」
俺は、姫乃が差し出した紙コップを奪うようにして取ると、中身を一気に飲み干した。
「少し辛かったかな?」
「す、少し・・・ね・・・ハハハ」
笑ってごまかす。
これもたまたま失敗しただけかもしれない。そうだ、そうに違いない!
俺は最後の希望を残ったポテトサラダに託し、食べてみた。
す、すっぱっ!
レモン10個を食べたような酸味に襲われた。
みてくれはまともなのに、なんで味がこんな不思議味なんだ?
俺は失礼な意味で、姫乃の料理の才能を感じずにはいられなかった。
姫乃はアイドルだから、それほど家事は得意じゃないと思ってはいたけど、これじゃあ俺が作ったほうが百倍ましだぞ。
俺は心底そう思った。
「魁斗さん、まだまだたくさんあるから、残さず全部食べてね」
姫乃が無邪気な笑みを浮かべながら、弁当箱を差し出した。
知らぬが仏とはこのことであろうか。いや、この場合、無知は罪といったほうが適切かもしれない。
俺は「もうお腹いっぱいです」と言いそうになったが、すんでのところで思いとどまった。
せっかく姫乃が俺のために一生懸命作ったのだから、ここで全部食べなければ男がすたるってもんだ!
俺は男の威信に賭け、この不思議味の弁当を食べきる決意をした。
頑張れ、魁斗!愛さえあれば、どんな困難も乗り越えられるはずだ!
俺はウインナー、玉子焼き、ポテトサラダを一気に口に入れた。
・・・やっぱり駄目かもしれない・・・
最初の一口であきらめの感情が芽生えた。


このあと、地獄のランチタイムを気迫と根性でなんとか乗り越えた俺は、ふたたび姫乃と一緒に公園中を散策した。
ただおしゃべりしながら中を歩いただけだったが、姫乃は終始楽しそうにしていて、俺も楽しいひとときを過ごすことができた。
こうして、楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつけば辺りが暗くなり始め、黄昏色の空に一番星が顔を出していた。
「そろそろ帰ろうか」
「もうそんな時間なのね・・・」
姫乃は悲しそうな瞳を俺に向けると、胸のうちを吐露した。
「これでまたしばらく魁斗さんと会えなくなるんだよね・・・このまま時間が止まってほしい・・・」
「姫乃・・・」
計り知れないほどの愛しさが込み上げる。
俺もできるならもっと姫乃のそばにいたい。
しかし、姫乃がトップアイドルである以上、俺たちは限られた時間の中でしか会えなかった。
それなら、せめてこうして会えたときに、俺がいつもそばにいることを姫乃に伝えたい。
そして、俺自身も大切な女性の存在を強く刻みつけたい。
俺は姫乃の細い肩に手を置くと、力任せに引き寄せた。
「姫乃・・・俺はどんなときでも、ずっと姫乃のことを思っている。姫乃の持つ輝きを守りたいから・・・ずっと守りたいからどんなに遠く離れていても、ずっと会えない日が続いても、姫乃ことを思っている。愛している」
俺は、掛け値ない素直な気持ちを伝えた。
「魁斗さん・・・私もずっと魁斗さんのことを思っているよ。歌っているときも、芝居をしているときもずっと魁斗さんのことを感じているよ」
姫乃は俺の腕の中でそうつぶやくと、顔を上げて俺を見つめた。
俺の瞳の中に姫乃がいる。
姫乃の瞳の中に俺がいる。
俺と姫乃は同時に瞳を閉じると、互いにゆっくりと顔を近づけた。
ほのかなコロンの香りと姫乃の甘い呼吸が俺の鼻をくすぐる。
その直後、俺と姫乃はそれぞれの思いを込めた長いキスを交わした。