ファーストプレリュード

第2章 secret elegy

目の前に赤い瞳の女性が立っていた。温かみのあるまなざしをこちらに向けながら。
自分はこの女性を知らない。しかし、何故か懐かしい気持ちにかられた。
───あなたは誰なんだ?
総次は女性に声をかけようとした。
とそのとき、総次の体が大きく揺れ出した。
「じ、地震か?」
総次はとっさにベッドから起き上がった。
「きゃ!」
同時に可愛らしい悲鳴が上がった。
「え、あ、紅葉ちゃん?」
「び、びっくりしたあ・・・」
紅葉は口に握りこぶしを当て、少し後ずさった。
「乱暴な起こし方してごめんなさい。何度呼んでも起きなかったので、それで・・・」
紅葉は小さな体をさらに小さくさせた。
「そうだったんだ。それなら謝るのは俺のほうだな。ごめん」
総次が謝ると、紅葉の表情から固さが消えた。
「あの、朝ごはんの準備が出来ましたので、一緒に食べましょう」
「ありがとう」
総次はベッドから降りると、紅葉と一緒に台所へ入った。
いつもならエプロンをつけた青葉がいるはずなのだが、今日はその姿がなかった。
「あれ、今日は青葉ちゃんがいないけど、どうしたのかな?」
「お姉ちゃんは朝の当番があるからと言って、先に学校へ行きました」
紅葉が総次の問いに答えた。
「そうなんだ。それじゃ、今日の朝ごはんは紅葉ちゃんが作ったのかい?」
「いえ、お姉ちゃんが先に作っておいてくれたんです。私はお姉ちゃんみたいに料理がうまくないから、ほとんど作ったことがないんです」
「そっか。でも、1度くらいは紅葉ちゃんの料理も食べてみたいな」
「そ、そうですか。それなら機会があったら、総次さんのために作ってあげますね」
と言ってはにかんだ。
「期待して待ってるよ」
総次は笑って答えると、テーブルに着いて、青葉が用意したツナサンドをつまんだ。
「いただきまーす」
紅葉も反対側に座って、ハムエッグを口に入れた。
───それにしても今朝の夢はなんだったんだろ?
総次は夢の中で出会った女性のことを思い出した。
赤い瞳の人間の知り合いなどいるわけがない。だけど、何故か初対面という気がしなかった。
まるで昔から知っているような気がしてならなかった。
しかし、いくら記憶をたどっても、まったく思い出せなかった。というよりも、覚えがないといったほうが正しいかもしれない。
───ただの夢だよな。だいいち、目の赤い人間なんているわけないし・・・
総次は釈然としない気持ちを無理やり切り替え、食事に専念し始めた。
そのとき、強い視線がこちらに向けられていることに気付いた。
「ん、どうしたんだい、紅葉ちゃん?」
「あ、あの・・・その・・・」
声を掛けられた紅葉は、急にそわそわし出した。
「その・・・えっと・・・総次さんのことを・・・いいですか・・・」
顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「え、最後のほうがよく聞こえなかったんだけど・・・」
「お、お兄ちゃんって呼んでもいいですか!」
「うわっ、びっくりした」
総次は思わずそばにあったコーヒーをこぼしそうになった。
「ご、ごめんなさい・・・」
消え入りそうな声で謝る。
「あの・・・やっぱり駄目・・・ですか・・・」
上目遣いで総次を見る。その瞳は心なしか潤んでいるように思えた。赤の他人に対して、こんなことを言うのだから、相当の勇気を振り絞ったに違いない。
「ああ、俺は別に構わないよ」
総次は安心させるように微笑んで答えた。あんな健気なまなざしを見せられては、断れるはずがない。
「ほ、本当ですか!よかったあ」
紅葉はとびっきりの笑顔を浮かべた。心の底から喜んでいる姿に、総次も嬉しくなった。
「そ、じゃなくて、お兄ちゃん、ごはん食べたら、一緒に学校に行きましょ」
「OK」
いきなり“お兄ちゃん”と呼ばれて、くすぐったさと恥ずかしさがあったが、それ以上に心の中を満たす充実感があった。
───これはこれで悪くないな。
生まれて初めて味わった、言葉で表せない気持ちが心地よかった。
可愛い妹が出来たことに、総次は小さな戸惑いと大きな喜びを感じずにはいられなかった。