Steife Brise
第2幕 碧瑠璃の予兆

日独合弁企業が最新鋭の技術を集結させ、作りだした人口の楽園「LeMU」 関係者が「現在における最大にして最高の理想郷」と豪語するほどの海洋テーマパークで、平日休日問わず多くのひとで賑わっている。 まさしく海の楽園と呼ぶに相応しいほどの盛況ぶりを見せていた。 今日も大盛況のうちに閉園し、「LeMU」の開発部長代理でここの案内役も兼ねている茜ヶ崎空は、各フロアの最終点検を行っていた。 閉園した「LeMU」の内部は、開園時のときとはうって変わり、不気味なほどの静寂に包まれていた。 空はまずエレベータで水面下3層目───ドリットシュトックへ向かった。 ドリットシュトックとは、海底での冒険を主体としたアトラクションコーナーで、こちらも最新の技術を用いて、さまざまなアトラクションが設けられている。 ヴァーチャルリアリティの世界だが、まるで本当の海底での冒険を楽しめるということで、特に中高校に人気があるフロアとなっている。 空はアトラクションのコーナーをひととおり見回ったあと、倉庫やアトラクションの管理システムがある関係者専用の通路に入った。 その通路をまっすぐ進むと、やがてT字路にぶつかり、空は右に曲がった。 とそのとき・・・ 「ワンワン!」 通路の奥のほうから犬の鳴き声がして、小さな白い犬がこちらに向かって走り寄ってきた。 「あら、なんでこんなところに子犬がいるのかしら?」 空は目を丸くしながらその場にしゃがむと、白くて細い手を差し出した。 犬はその手に顔を当てると、嬉しそうにじゃれついてきた。 「迷子じゃなくて、迷い犬ってところかしら」 子犬の愛らしい仕草に目を細める。 ちょうどそのとき、子犬のやって来た方向から別の足音がして、通路からひとりの女の子が姿を現した。 年齢は小学生だろうか。女の子は空を見るなり、屈託ない笑顔を浮かべた。 「こんっちゃわ~」 意表を突く能天気な挨拶に、空は思わずあっけにとられてしまった。 「あ、えっと、あなたはどうしてここにいるのですか?もしかして、お母さんたちとはぐれてしまったのですか?」 穏やかな口調で尋ねる。 「うんっとね、ココはピピとふたりで遊びに来たの。どうしてここにいるのかっていえば、う~んとう~んと、なんでかな?わかんないや」 女の子は、しばしのあいだ眉間にしわを寄せてうなっていたが、すぐさまあっけらかんとした笑顔を浮かべた。 「そうですか。とりあえず、ここは危ないから私と一緒に行きましょう。あなたのお名前は?」 空は女の子の話を聞いて、恐らく何かの拍子にこの場所に迷い込んだのだろうと判断し、ひとまず身柄を保護して、家族に連絡することにした。 「私は八神ココでーすっ!そして、こっちが愛犬のピピだよ」 「ワン!」 ココと名乗った女の子の言葉に応えるような感じで、子犬が尾を振りながら吠えた。 「この子はピピというのですか。可愛い子犬ですね」 「でしょでしょ。ピピはココの一番のお友だちなんだよ。ピピはお姉ちゃんのことをお友だちとして認めたみたいだから、これからはココもお姉ちゃんのお友だちになるね」 ココは嬉しそうに言った。 「フフフ、ありがとう」 そんなココを見て、自然と空も笑顔になる。 ───フフ、この子の笑顔って天使のようだわ。 空はココの天真爛漫な仕草に心が和んでいくことを感じた。 これぞ持って生まれた一種の才能といえるかもしれない。 ただ笑うだけで他人を幸せな気持ちにする。 それはとても素晴らしい能力だと空は思った。 空がココとピピを連れて、来た道を引き返していたそのとき、いきなり辺りが真っ暗になった。 「て、停電・・・?」 空はその場で立ち止まった。 と次の瞬間、暗闇の中から澄んだ鈴の音が鳴り響いた。 とたんに空は奇妙な胸騒ぎを覚えた。 「だ、誰かいるの?」 空は迫り来る恐怖感に耐えながら、暗闇の彼方に向かって声をかけた。 すると、暗闇から突如、紺色の長髪と青い瞳を持つ少女が現れた。 「あ、あなたは誰・・・」 空は、この少女から言葉にはできないただならぬ気配を感じ、本能的に身構えた。 「・・・」 少女は無言のまま、空をじっと見つめた。 空も吸い寄せられるように、少女の碧色の瞳に釘付けとなった。 緊張した空気が周囲に満ち溢れ、空の喉がこくんと鳴る。 そのとき、少女の体が突然、ぼんやりと青い光を帯び始めた。それはこの少女が人間ではないことを告げる光だった。 非現実的な光景に空は言葉を失った。 こんなことなどあり得ない・・・何度もそう思ったが、彼女の瞳に映るものは紛れもなく現実だった。 少女を包み込む光は次第に強くなり、そこから無数の青い光の刃が出現した。 「・・・私の邪魔をしないで・・・」 少女が冷淡な口調でそうつぶやくと、青い光の刃が空に向かって飛んでいった。 空はかわさなければと思ったが、意に反して体がまったく動かなかった。 ───避けられない! 空は思わず目をつぶった。 そのときだった。空の前にココが立ちはだかるのと同時に、刃が乾いた音をたてて粉々になり、跡形もなく消えた。 「え・・・」 恐る恐る目を開けた空は、自分の身に何が起こったか分からず、呆然となった。 「その力・・・あなたはまさか・・・」 青い瞳の少女は、明らかに分かるほどの動揺の色を浮かべながらココを見つめた。 「なぜ、あなたが私の邪魔をするの・・・あなたは・・・」 「あなたが無関係のひとを巻き込もうとしたからよ。このひとは、あのこととは無関係なんだから、手を出してはいけないわ。分かったら、今すぐここから消えて」 「・・・」 少女は何か言いたそうな顔をしていたが、ココの言葉に従って背中を向けると、暗闇の中に向かって歩き出した。 「ち、ちょっと待ちなさい!」 ようやく我に返った空は、急いで少女のあとを追おうとした。 ところが、ココに腕をつかまれて、追いかけることができなかった。 「追いかけては駄目です!死にたくなければ、このままそっとしておいてください」 「ココちゃん・・・」 空はココの変貌振りに驚愕した。 今、目の前にいるココは、停電前までにいたココとは別人のようだった。 いや、「別人のよう」ではなく、「別人」というべきだろうか。 なぜなら、今のココからは、ついさっきまでのほんわかとした気配がなくなり、代わりに計り知れないほどの威圧感が漂っているからだ。 とそのとき、いっせいに証明が灯りだし、いつものLeMUの光景に戻った。 「ココちゃん、あなたはさっきの女の子と知り合いみたいだったですけど、あの子とあなたはいったい何者なんですか?」 空は真剣な面持ちで尋ねた。 「ふえ、さっきの女の子って誰?」 「え・・・」 予想外の返答に戸惑う空。 「ほら、突然現れた青い目の女の子ですよ」 「青い目の女の子なんて、ココ見ていないよお。だってだって、ここにいたのはココとピピとお姉ちゃんだけだもん。ね、ピピ」 「ワン」 ココはきょとんとしながら答えた。 「そう・・・」 空は頬に手を当て、その場に立ち尽くした。 さりげなくココを観察してみたが、先ほどの威圧感はまったく感じられなかった。 どうやら、初めに会ったときのココに戻っているようだった。 今の彼女がうそをつくとは考えにくいし、どうやら本当に停電時のときのことは覚えていないようである。 つまり、青い瞳の少女と話をしていたココは別人格のココで、そのときの記憶は人格が入れ替わるのと同時になくなってしまったと考えられる。 ただし、これはあくまで推測の世界での結論だが・・・ 目で見たものは真実となる。それが空の考え方だった。 その考え方を当てはめると、今回の一連の出来事は、夢物語ではないということになる。 青い光をその身にまとった青い瞳の少女・・・繰り出される青い光の刃・・・ふたりのココ・・・ すべて常識では考えられない出来事だった。しかし、確かにそれは現実の世界で起こっていた。空の目を通じ、記憶という回路にそれらの光景がしっかりと刻まれており、克明に思い出せることが何よりの証拠だった。 ───私の見たものがすべて真実であるなら、このLeMUには何かがある・・・私の想像を遥かに超える何かが・・・ 空は青い瞳の少女がいなくなった通路を見ながら、大きな不安と漠然とした予感を抱いた。