Steife Brise
第1幕 深海の瞳を持つ少女

うららかな日差しが優しく降り注ぐ昼下がりのカフェテリアは、和やかな雰囲気に包まれていた。 そんなカフェテリアで、ふたりの少女がささやかなティータイムを楽しんでいた。 ひとりは鳩鳴館女子高等学校の制服を着ており、ややきつい目つきをしているものの、なかなか可愛い女の子だった。 そして、もうひとりはラフな私服姿をしたショートカットの女の子で、こちらは対照的に柔和な顔立ちをしていた。 「今日はラッキーデーかな。だって、こうしてなっきゅ先輩にケーキをおごってもらえるんだもの」 鳩鳴館の生徒───松永沙羅は満面の笑みを浮かべながら、テーブルの上に置かれているケーキにフォークを突き刺した。 「私はアンラッキーデーだよ。マヨに会ったばかりにおごる羽目になったんだから」 なっきゅ先輩と呼ばれた少女は、やれやれといった感じで、小さなため息をついた。 彼女の名前は田中優美清春香菜といい、あまりにも長い名前なので、まわりからは略して「優」と呼ばれている。 マヨこと松永沙羅とは高校時代の先輩後輩の間柄で、優は沙羅のことをとても可愛がっていた。アンラッキーだと言っている割には、楽しそうにしているのが何よりの証である。 また、沙羅のほうもそんな先輩のことを心から慕っていた。 「エヘへ、そんなこと言っても、本当は私と会えて嬉しいんでしょ」 「まあね。マヨとこうしてお茶するのも久しぶりだしね。あ、ただし、私のおごりだからって、たくさん注文したら駄目だぞ。ケーキはふたつまでね」 優はそう言って、ビシッと指差した。 「大丈夫ですよ、なっきゅ先輩。私は先輩と違って5個も6個も食べたりしませんから。それより、なっきゅ先輩、そんなにケーキをたくさん食べると太りますよ」 にやりと笑う沙羅。 「それは大丈夫よ。だって私、太らない体質だから。それよりもマヨのほうこそ、最近ちょっと太ったんじゃない?お腹が少し出てきているような気がするけど」 「そ、そんなことないですよぉ!」 沙羅は慌ててお腹を押さえて反論した。 「アハハハハ、冗談よ。でも、そうしてお腹を気にしているってことは、やっぱりお肉がついてきたのかな~」 優は含み笑いを浮かべながら言った。 「もうっ、なっきゅ先輩の意地悪」 沙羅は頬を膨らませてそっぽを向いた。 「ごめんごめん。マヨは可愛いからついからかいたくなるのよね」 と言って小さく舌を出す。 「なっきゅ先輩なんて嫌いです」 「私はマヨが大好きだよ。だって、可愛い私の後輩だからね。ほら、そんなに怒っていると、せっかくの可愛い顔がだいなしだぞ。笑顔、笑顔」 優はそう言うと、自分の顔をわざと大きく歪めた。 それを見て、沙羅は思わず吹き出した。 「もう、なっきゅ先輩にはかなわないな」 「伊達にマヨより年をとっていないからね」 優はにこりと笑うと、大きく胸を張った。 「あ、なっきゅ先輩。そういえば、先輩は確か“LeMU”でバイトしているんですよね?」 「うん、そうだけど、それがどうかしたの?」 「実は今度、学校の行事で“LeMU”に行くことになったんです。だから、なっきゅ先輩、私のために特別アトラクション用のSフリーパスをください」 「ああ、あの特別フリーパスね。残念だけど、それは無理よ。あのフリーパスは高いから一介のバイトの私ではどうすることもできないよ」 「ええええっ!なっきゅ先輩が可愛い後輩に対して、そんなに冷たいひとだったなんて思いませんでした。私、なっきゅ先輩だけが頼りなのに・・・」 沙羅は今にも泣き出しそうな顔をした。もちろん、これが演技であることはいうまでもない。彼女はこういうことに関しては抜け目がないのだ。 「うーん、可愛いマヨの頼みだから、なんとかしてあげたいのはやまやまなんだけど、こればかりはねえ・・・」 優は後輩の演技にだまされ、困り果ててしまった。 「なっきゅ先輩、こっそりひとつだけ拝借すればいいじゃないですか」 「あのねえ、そんなことしてばれたら、私が犯罪者として警察に捕まっちゃうじゃない」 「大丈夫ですよ。ばれなきゃ、犯罪にはなりませんから。それに、万が一ばれたら、ただ借りていたといえばいいんですよ」 「あのねえ・・・」 人事のようにさらりと言ってのける沙羅に対し、優はあきれたような表情を見せた。 確かにばれなければ問題ないが、そんな理屈がまかり通るはずはない。 「分かりました。それじゃあ、パスはあきらめますから、そのかわり先輩のできることでいいですから、何かサービスしてください」 「うーん、それも難しいんだけど、分かった、やれるだけやってみせるわ。そのかわり、これはマヨだけにだから、絶対に他のひとに言っちゃ駄目よ」 「やったあ!ありがとう、なっきゅ先輩!なっきゅ先輩は優しいから、私、先輩のことが大好きです!」 沙羅は手放しに喜んだ。 「まったく調子がいいんだから」 優はそんな後輩を見て、思わず苦笑いを浮かべた。 そのとき、優は誰かに見られているような感覚に襲われ、顔を左のほうに向けた。 その視線の先にいたのは、紺色の長い髪と濃いマリンブルーの瞳が特徴的な10歳くらいの女の子だった。 女の子は、まるで人形のようなまなざしで優をじっと見つめていた。 ───この子の瞳って、深海のような感じがするわ・・・ 一方、優も女の子の澄みきった青い瞳に釘付けとなっていた。 この子はいったい何者なのか。少なくとも、優の知人でないことだけは分かる。 優は何か用があるのかと尋ねようと思ったそのとき、どこからともなく鈴の音が鳴った。 その瞬間、いきなり優の周りの風景がすべてなくなり、真っ黒な空間のみとなった。 ───こ、これはどういうこと?何が起こったの? あまりにも突発で、常識では考えられない出来事に、優は激しく動揺した。 その直後に、黒一色だった辺りの景色がふたたび色づき始める。 そして、完全にまわりの風景が色を取り戻したとき、優は戦慄を覚えた。 なぜなら、優の辺り一面が全部水に覆われていたからである。 「こ、これは・・・」 優は恐る恐る手を伸ばした。しかし、見えない壁によって、水に触れることができなかった。どうやら、自分のいるわずかな空間のまわりに透明の壁が存在しているらしい。 優は一度、大きく深呼吸をして自分自身を落ち着かせると、ぐるりと周囲を見渡した。 すると、優の背後に例の女の子が立っていることに気づいた。 「これはあなたの仕業なの?」 「・・・」 女の子は無言のまま、外をじっと見ていた。 優は女の子の視線の先を追うように、同じ方向に顔を向けた。 その先には見覚えのある大きな建造物があった。 優がバイトをしている海洋テーマパーク“LeMU”である。 ───“LeMU”があるってことは、ここは駒ヶ原諸島の浅海底ってこと?そんなことってあり得るはずがないわ・・・!だって、私はさっきまでカフェテリアにいたんだから・・・ 立て続けに起こった常識では考えられない出来事に、優はただただ絶句することしかできなかった。 そのときだった。 突然、大きな爆発音が鳴り響き、“LeMU”が崩れ始めた。 これも優にとっては、信じがたい光景であった。 「“LeMU”が崩壊している・・・そんな馬鹿な・・・」 優は思わず茫然自失となった。 「ねえ、みんなを助けたい?」 突然、女の子が初めて口を開いた。 「え・・・」 「みんなを助けたい?」 戸惑う優に向かって、抑揚感のない口調で同じ言葉を繰り返す。 「助けるっていっても、もう手遅れよ!」 優は、先ほどから起こり続けている不可解で非現実的な事象によって、言いようのない不安と苛立ちを覚え、思わず感情を爆発させた。 これはいつも気丈で明るい彼女にしては珍しい行為だった。 それだけ精神的に追いつめられているといえるだろう。 「これをあげる」 女の子は、そんな優の態度に怯む様子もなく、ゆったりとした足取りで近づくと、手に握っていた何かを彼女に手渡した。 優は怪訝そうな顔をして、女の子が渡したものが何かを確かめると、それが錆び付いた鈴であることが分かった。 「これは・・・」 そうつぶやいたそのとき、突然、優の立っている空間が激しく揺れ出した。 揺れは時間が経つにつれ、激しさを増し、同時に激しい頭痛が優を襲った。 やがて激しい揺れと耐えがたい頭痛によって、優は完全に意識を失った・・・

「・・・先輩・・・なっきゅ先輩・・・」 聞き覚えのある声が遠くから聞こえる。 優はその声によって、意識を取り戻した。 「あ、マヨ・・・ここはどこ・・・」 気がついた優のいた場所は、見覚えのない部屋だった。 「ここは病院のベッドですよ。なっきゅ先輩、カフェテリアでお茶しているときに、急に意識を失って倒れてしまったんですよ」 「そう・・・ごめんね、マヨ。ずいぶん、面倒をかけてしまったみたいで」 「そんなこと気にしないでください。それより、気分のほうは大丈夫ですか?」 心配そうな顔をして尋ねる沙羅。 「うん、もう平気だよ。本当に心配かけてごめんね。そのかわり、このお礼はまた改めてするわね」 「そんなお礼なんて水臭いですよ。私となっきゅ先輩の仲じゃないですか」 「ありがとう、マヨ」 優は後輩の優しさがとても嬉しかった。 ───カフェテリアで起こった出来事は夢だよね・・・ そう決めつけようとしたそのとき、優は自分の右手に何かあることに気づいた。 まさかと思い、沙羅に悟られないようにしながら、ゆっくりと右手を開くと、そこには予想していたものがあった。 錆び付いた鈴・・・それは優が体験した出来事が夢ではないことの証だった。 ───そんな、私が体験したことはすべて現実だというの・・・!? 計り知れないほどの戦慄が体中を駆け巡る。 「ん、どうしたんですか、なっきゅ先輩?顔が青いですけど、まさかまた具合が悪くなったんですか?」 沙羅が優の異変に感づき、声をかけた。 「あ、えっと、少しめまいがしただけだから心配しないで。少し横になれば治るわ」 「そうですか。それなら、少し休んだほうがいいですね。それじゃあ、私は今から何か飲み物を買ってきますね」 沙羅はそう言い残すと、病院内の売店に向かうため、病室をあとにした。 ───あの女の子はいったい何者なの?何のために私の前に現れたの? 優は横になると、答えの出ない疑問と大きな不安を抱えたまま、静かに目を閉じた。